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必見の名作 2007/1/21
言わずと知れた反戦映画の名作ですが、現代のように戦争を体験していない国民が大部分を占めるようになっているだけに、若い人も是非観るべき作品と思います。
戦闘シーンは記録映画のようなリアルさがあります。戦場へ若者を駆り立てる無責任な大人、悲惨な死を迎える兵士たち、あまりにも有名な切ないラスト、そこらへんの戦争映画とはレベルが違います。
舞台はドイツですが、1930年のアメリカ映画です。イラク戦争へ突き進んだ現在のアメリカ人こそ、彼らの先輩が作ったこの良心的な映画をもう一度観るべきなのかもしれない。
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心に確かな重い何かを感じさせる映画 2007/4/24
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1930年作品ですから、古くて、雑音も一杯だし、白黒です。しかも、観た後、スカッとはしません。どよんとします。しかし、反面、これが真実だろうという納得ができる部分があります。
BGMはほとんどないか、一切無かったと思います。あるのは、兵士としての日常の積み重ねの描写です。
恐怖に満ちた戦場。戦場と関係ないところでは、威勢のよい老人たち。教師。まだ現実を知らずにいる若者たち。
この映画って「戦争は駄目だ」とか「哀しい」とかいう主張を声高に叫んでいるわけではないのです。ただただ、事実を積み重ねていく。戦場では、こうだよ、戦争の無いところでは、こうなってるよ、戦争に負け始めるとこうだよ、というドキュメンタリーのような映像です。
心に確かな重い何かを感じさせる映画ですね。
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茶色い戦争 2007/8/24
すごいです。今から80年も前にこんな映画が出来ていて、
その後この映画を越える反戦映画は、すくなくともアメリカでは、
作られていないんじゃないでしょうか。
「戦争のはらわた」とか「プラトゥーン」とか昨今の「プライベート・ライアン」とか
色々題名を上げる人もいるかもしれない。でも、反戦のメッセージの強さ、直截さでは、
この映画にはとうてい太刀打ちできないと思う。あの塹壕を登って敵に銃剣突撃を仕掛け、
それを機関銃と手榴弾で迎え撃ち、鉄条網を掴んだ手だけが残るシーンの怖さ。
主人公も塹壕の中の多数の兵士の一人となり、どこにいるのかがわからなくなる。
ゲームの世界ではない。殺す側だけの視点ではない。
殺される側の視点、そして瀕死のフランス兵とともに砲弾の嵐を避けながら過ごす一晩の恐ろしさ。
ひょっとして、これだけ愚直に反戦のメッセージを正面から描き出せる映画は
今後ももう作ることができないのかもしれない。
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西部戦線異状あり 2007/10/27
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第一次世界大戦に実際に従軍した作者による原作を映画化しただけあって、作品中に登場するエピソードにはどれもこれも生々しいリアリティを感じられる。教師の演説に洗脳される学生たちの映像に始まり、戦場に舞い降りた蝶に触れようとした主人公が狙撃されるまで、反戦映画の要素を全て備えているといっても過言ではない。戦場を舞台に作られた後世の映画が<反戦>を描こうとした時、この映画はどうしても避けて通ることのできない<関所>のような作品だ。
元郵便配達が鬼軍曹となって新兵を絞りあげる訓練風景は、いまや戦争映画の定番となっているし、酒と女で束の間ハメをはずす場面も、兵士(または観客)の緊張をほぐすためにはなくてはならない。砲弾が飛び交う中、敵軍の突撃隊が味方の塹壕に突進してきて、鉄条網の手前で次から次へと機関銃で掃射されていくシーンの長回しは、『プライベート・ライアン』を彷彿とさせる異様な迫力を生んでおり、<殺伐>という形容が最もあてはまる。老人が始めた戦争で若者が死んでいく現状を嘆く主人公には、療養休暇で訪れた故郷に居場所などあるはずもなく、私たちはそこには『ジョニーは戦場に行った』と同じテーマを発見することができる。
1930年に作られた映画であるが、映像の技術的面はさておいて、内容的に見てまったく古さを感じない。第一次世界大戦から第二次世界大戦、ベトナムからイラクへと戦争の舞台が変わったとしても、後に残るのはいつも犠牲となった兵士たちの屍とむなしさだけである。一体誰のために、何のために戦っているのか?兵士たちは銃を握りしめながら自問自答を繰り返すのである。