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いい加減な映画 2008/1/29
よくできた映画かそうでないか。見るときの視点はただひとつ。作意がどれだけ映像で表現できているか、ではないか。たとえ悪徳ギャングが主人公の映画であっても、その犯罪の計画、実行、そして結果が手順を踏んで、見る側が納得できるストーリーになっているかどうか、である。
そして、作中の人物が生きた人間としての実在感があるか、映画にかぎらず、芸術作品を鑑賞するときのポイントはそこにあるだろう。その観点からすると、本作はいい加減という他はない。テロリストを探し出して撃つまでの準備、困難そして苦しみは筆舌に尽くせないものにちがいない。この映画ではそれが何もない。
スピルバーグが言いたいことはわかる。しかし、いくらメッセジーが崇高でも、それと映画の評価とは別の問題。
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隠された真実へのアプローチ 2007/12/21
テロへの復讐と見るかテロとの戦いと見るか意見の分かれる作品。
スピルバーグはこの作品でイスラエルに入国できなくなった。
何故かはこの映画をみれば分かります。
監督はお金儲けはもういいから世界を変える映画を作りたいと思いこの映画を世に出したらしい。
内容がかなり過激なので見るには覚悟のいる作品です。
3
相棒は007… 2008/1/15
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本作は、戦慄のミュンヘン・テロで11人の命を蹂躙されたイスラエル政府が、
報復として遂行した暗殺プロジェクトの真実につき、
若くしてリーダーに選ばれた青年の視点から描くものです。
まず、冒頭で本作は真実にインスパイアされた(Inspired)とあります。
Based on~と表示されないのは、
暗殺プロジェクト自体が密行性が高いため、
本作が、やはり断片的な情報と監督の想像力で構成されたことを示しているのでしょう。
したがって、あまり細部のリアリティにこだわらずに見るべき作品だと思います。
次に、印象的なのは、ヤサ男に見える主人公アヴナーの顔つきが、
度重なる凄惨な暗殺を経て凄みを増していくところです。
賛否両論でしょうが、始めの方で冗談交じりでセックスを楽しんでいるアヴナーが、
終盤で何か取り付かれたように妻の身体を求めている、
しかも、その間ミュンヘン・テロの残像に苛まれているというのが象徴的です。
さらに、もちろんスピルバーグ監督のメッセージの一つであると思われる、
暴力の連鎖のむなしさというのも、
あえて終盤で主人公と上司との言い争いという形で明確にしなくとも、
敵とみなせば問答無用で殺害する、暗殺作戦の連続を通してひしひしと伝わってきます。
ただし、個人的にいただけないと思ったのは、
主人公が重大な決意をしようとする時などに、
ミュンヘン・テロの再現ドラマが挿入されることです。
果たして、現場にいなかった主人公の脳裏にこんな鮮明な映像が浮かんでくるでしょうか…。
最後に、本作にはろくでもない人殺しの大人が総出演(笑)なので、
フランス人ブローカー?「パパ」の邸宅の子供たち、
そして、なんといってもアヴナーの最愛の娘の可愛らしさにほっとさせられます。
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考えよう。 2008/2/5
1972年のミュンヘンオリンピック開催中に起きた黒い9月事件、それに対するイスラエル政府のパレスチナへの報復活動を描いた作品。
この映画についてスピルバーグは、これは事実を描写した映画ではなく、事実をもとにして描いたフィクションであるという主旨の発言をしている。
しかし私がそのフィクションを観て思い浮かべるのは、いまそこにある、解決もつかないし納得も出来ない、どうしようもない現実である。
そして様々な疑問が沸き起こってくる。
ユダヤ人、イスラエル、パレスチナ。
何故ユダヤ人は歴史上のいつどの点においても厄介者扱いされ、迫害を受け続けてきたのか。
ユダヤ人もパレスチナ人も何故あのイスラエルの土地に固執するのか。
約束の地とは何か。
キリスト教ユダヤ教イスラム教は何が違うのか。
それらの問題のどれもが今を生きる多くの日本人にとって馴染みがうすく、どうしても分かりにくい問題である。そしてそれらについて全く無関心であると、この映画を観てもいまいちピンとこないのではと思う。
しかしそこには間違いなく人間にとって普遍的な問題がある。
われわれ人間は何故殺しあわなければならないのか。
いつまでそれを続けるつもりなのか。
「平和」のために「殺しあう」という矛盾。
戦争とは。差別とは。宗教とは。国家とは。平和とは何か。
日本人はユダヤ人と彼らに関する諸問題それ自体に直接関係しているわけではないかもしれないが、その問題を通じてわれわれが考えるべきことはいくらでもある。
この映画はそれらの問題に関心を持ち、考える一助となれば良いのではないか。
そうやって改めて問題提起するためにスピルバーグはこの映画を撮ったのだろうと思う。