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円熟の極み 2005/8/4
戦前のサイレント時代に岡田時彦というたいへん美男の俳優さんがいて、小津作品にも何本か出演している。芸域がとても広いひとで、悲劇のヒーローからドタバタコメディからなんでもできたそうである。残念ながら30代前半で肺結核のため他界して、トーキー時代まで生き延びることはなかった。
話は変わって、岡田茉莉子がこの映画に出演したあとで、なぜ自分にこの役をあてたのかと小津に直接問いただしたらしい。小津の答えが 「岡田時彦の娘だから多分できると思った。」 簡単ですが、大変重みのある答えです。この映画における彼女の役はかなり難しい。その難役を見事に演じ切っているのはやはり「血」のなせるワザか? 亡き友の娘の嫁入り先を案ずる三人のオヤジたち(佐分利信、中村伸郎、北竜二)がいる。その娘の友人で、三人オヤジを手玉にとるチャキチャキ娘が彼女の役。本作の喜劇的なトーンを決定的にしているのは、三人オヤジと岡田の絶妙のアンサンブルで、まるでクラシックの対位法のような効果を生んでいる。 「亡き友」の未亡人が原節子、娘は司葉子。司の結婚相手に佐田啓二。三人オヤジのなかでヤモメの北竜二が、他の二人に原節子と結婚しろとそそのかされて、すっかりその気になるのもおかしいし、彼らの会話にさりげなく、猥談が盛り込まれているのも一興。そしてカラー撮影に慣熟してきたと思われる小津の演出は、いろいろな意味で円熟の極みといえよう。他に岡田の斬新な衣装など、見所はじつに多い。これまた必見です。
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アンチヘブリンガンの効用に関して一言、 2005/7/10
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昭和35年(1960年作品)、この年の松竹映画79本中で配給収入第1位の大ヒット作、天然色(カラー)映画としての4作目であり小津の「色使い」に関する気配りと撮影・照明の調和が完成した作品と評価できる、(小津とキューブリック「2001年」との類似が指摘されるのも本作前後のカラー作品、特に本作においてである、ディスカバリー号の機内かと目を疑うようなカットが頻出するのでキューブリック・ファンは必見です)、なおこの年から大島渚・吉田喜重など松竹ヌーベルバーグとよばれる作品公開が始まったことは記憶しなければならない、本作で原節子は母親役、現在のわれわれのように連続して小津作品を見られる環境では奇妙な印象も受けるのだが、原が嫁ぎ遅れそうな娘を演じた昭和26年「麦秋」から9年、戦争未亡人を演じた昭和28年「東京物語」からでも7年が経過していたことになり、当時の観客にしてみれば当然の配役だったのかもしれない、本作で端役デビューし小津に得がたい印象を残した岩下志麻は2年後の「秋刀魚の味」で主演に抜擢される、小津には喜劇作家として面も色濃く、本作は戦後の代表作と読んでも異論はないとおもう、特に佐分利信、中村伸郎、北竜ニ、の同級生三人のコメディ・シーンのノリは上品なスリー・アミーゴスのようであり、加えて岡田茉莉子のコメディエンヌぶりも後の迫力ある大女優ぶりとは別人のようである、岡田は夫の関連でこの後コメディー調からは距離を置くわけだが、本来の資質はジュリア・ロバーツやメグ・ライアンと同類の女優であり評者は路線変更を残念に思う、岡田と浜美枝こそ邦画が誇るコメディエンヌに成り得たはずなのだが、二人の美少女、司葉子、桑野みゆきの可憐さを見るたびに、同じ国でもなるほど時代によって人の顔立ちは変化するのだな、と納得できます、
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おもしろて やがて かなしき 2005/10/2
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この作品は 小津の他の傑作群に比べると 小粒ながら シャレているという点では 個人的には高く評価している。
なんと言っても中年のおじさん三人組、中村伸郎、佐分利信、北竜二の会話が実に良い。コミカルで スケベで 人が悪くてそれでも人が良くて。実に軽妙で 何回見ても笑える。脚本も良く出来ているし この三人の芸達者には 舌を巻くしかない。 それにしても 原節子も まだ美しいながら やはり中年であることは 役柄もそうなのだが 隠しようも無い。この映画あたりが 原節子の最後の残照だったのかもしれない。そうして それは 小津自身にも言えるかもしれない。幾分はなやかな本作にも 既に 彼らの行く末が 今になって見ていると
ぼんやりと感じられるような気がする。
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「ねえ、そろそろよ」 2008/1/5
丸の内のオフィスで、岡田茉莉子と司葉子が並んで仕事をしています。
司葉子が腕時計をのぞきこみ、隣の岡田茉莉子に、「ねえ、そろそろよ」
と声をかけます。それは、ささやくような、とても魅力的な声です。
この後二人は、秋日和の屋上にのぼり、同僚の女友達が新婚旅行に出
かける列車を待ち合わせ、走ってきた列車に手を振りますが、女友達が
約束通り花束を振ってくれないので、「女の友情ってこんなものかしら」
と二人で寂しそうに職場に戻ります。
この挿話を含め、屋上のシーンは全部で三つあります。最初のシーン
では、司葉子と岡田茉莉子の動作が不自然なまでにシンクロナイズして
います。屋上の手前にはベンチが二つ向いあわせに置かれています。空
には赤いアドバルーンが二つ浮かんでいます。列車と都電が並行に走っ
ていきます。
二番目のシーンでは、人はたくさんいますが、司葉子は一人で孤独に
立っています。列車の走行は、同じように画面に示され、アドバルーン
も相変わらず、二つあがっています。手前の椅子には左に女二人、右側
に女二人が座っています。このシーンでは、司葉子は一人で立っている
のですが、外界の表情はそれほど変化しているとは言えません。
最後のシーンでは、岡田茉莉子が渡辺文雄と並んで立っています。こ
のとき、列車の走行は示されませんし、アドバルーンも一つしか浮かん
でいません。手前の向かい合ったベンチにも、左に男が二人、右に男が
一人です。渡辺文雄がまずバトミントンのシャトルを投げ返し、次に岡
田茉莉子がボールを投げ返すという交互の動作は、最初のシーンのそれ
とは明らかに違います。
このことから、「司葉子は周囲をシンクロナイズさせる存在である」と
考えることができます。それは、宿屋のシーンで、背景に見えている部屋
のあかりが消えて、障子が閉まるタイミングと、司葉子の修学旅行発言が、
嘘でしょうといいたくなるくらいシンクロしていることからも、ほぼ確実
です。そもそも、冒頭の七回忌で、「遅いわねえ、おじさま」と腕時計を
のぞきこんだ瞬間に、笠智衆が到着する場面から怪しかったのですが...
二番目のシーンで、司葉子は屋上に一人で立っていますが、この直後、
ラーメン屋の狭いカウンターで、司葉子が、佐田啓二と一緒に並んで、
ラーメンを食べるアクションは、第一のアクションと同じ質です。
こうして、屋上のシーンとラーメンを食べるシーンの結びつきがわか
ると、『秋日和』後半の原節子と司葉子が「ゆで小豆」を食べて、窓か
ら山の方を母娘で一緒に見つめるシーンが少しわかってきます。司葉子
が窓の方を振り向いたとき、彼女は何をシンクロさせたのでしょうか。
そう、それは、あの列車の走行と船の滑走です。