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ユートピアは地上に存在せず(岸田森の断末魔!) 2004/5/29
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ウルトラマンシリーズや『怪奇大作戦』の線から私もこの映画に行き着きました。見たくてもそんじょそこらのレンタル店に置いてあるはずもなく、幻の映画だったのです。それが突如として「実相寺昭雄コレクション」として目の前に。後先考えずに購入したのは言うまでもありません。そしてついに見た作品の冒頭から桜井浩子のポルノグラフィー! 挙げ句の果てに彼女は木に吊されて、ウルトラ第二世代の私にとってそれは見てはいけないものでした。これが大人になるということであり、そして現に今大人になった私は、今でなくては分からなかったであろう、この映画の深い思想性に取り込まれたのでした。 60年代の政治闘争に敗れた若者達は、自らの魂のよりどころとしての日本原風景に回帰して行きました。しかしその日本的美しささえももはやイメージの中の産物に過ぎない状況があったのです。この頃、原始共産主義的社会制度としての縄文時代がクローズアップされます。その社会では地母神的な女性が崇拝の対象だったのです(数多く出土する土偶はそのことを物語る)。しかし現実の社会はそうであるはずもなく、現実の女性も康子の様な普通のエゴを持った人間であり、彼らは反社会的・犯罪的な手法で山村にそれを実現するしかありません。それが袋小路に入るのは火を見るより明らかで、海の彼方に理想郷を求め、そしてカタストロフィを迎えます。クライマックスで岸田森が見せる断末魔の表情は、その無念さを何よりも雄弁に語ります。 学生闘争の行く末をシニカルに描いているとは言え、実相寺監督の撮った日本の風景は限りなく美しいものです。私も日本の海岸や砂丘がこんなにも綺麗だったのだと再認識しました。そして大島渚の諸作品とともに、これほどまでにラディカルな作品がかつての日本に存在したのが驚嘆すべき事です。語るべき事はまだまだありますが今回はここまで
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時よ止まれ 2004/5/9
“時間軸の停止という快楽”に価値を見いだし、それを恒常的に獲得する社会経済的装置として“ユートピア”の建設を目指す集団。そして何に価値を見いだすべきかわからずに彷徨っていた学生運動崩れの若者たちは、彼らの磁場に捕らわれていく・・・。
前作「無常」において、田村亮をして「仏法とは、私の中では論理的に快楽と相容れない構造破綻である」と喝破せしめた実相寺監督は、こんどはトロッキーの永久革命論を奉ずる学生運動を、観念的な時空論を展開して「快楽にたどり着かない営み」と否定してみせます。私はこの2作と「哥」を見ることにより、「呪いの壺」「京都買います」をはじめとする「怪奇大作戦」各作品の再解釈を楽しむことが出来るようになりました。 ということもあり、私は星5つと評価しましたが、観念的・抽象的と言われる映画ですので、見る人によって随分好き嫌いが分かれるかもしれません。ただ、俳優で映画を選ぶ方は、岸田森・清水宏治(宏は糸偏)・田村亮・草野大悟・桜井浩子らの演技を堪能するためだけに見てもいいと思います。特に岸田森ファンの方は、「修羅雪姫怨み恋歌」等と森さんのラストを比較してみるのも面白いです。
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かなり冗長で理屈っぽい 2004/9/13
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なかなかに理屈っぽい作品である。「唯物主義者」と「観念論者」のアジ演説みたいなのが延々と続いたりする。「日本回帰」「転向」「三島由紀夫」「共同体」などなど安保闘争時代のキーワードが次々と出てくる。時間とはすぐれて西洋的観念であって、自然・エロスを媒介とした宗教的忘我状態に耽溺することにより、時間の流れに抗せんとした隠匿者集団は、結局歴史に破れ破滅する運命をたどる。安保闘争の理念に敗れた理想主義者が国家に対する無力感から観念的日本回帰へと「転向」する有様はかなり現実的ではある。が、この理屈っぽさには正直閉口せざるおえないし、男根を模った社みたいなのを囲んで狂喜乱舞したり、結構笑ってしまうようなシーンもある。また、田村扮する唯物論者が「類とは観念的なもので、あるのは個だけだ」みたいなことを言うが、「類」こそは「個」の前提となる西洋的自我の根幹なのではないか。しかし、「無常」をはじめとする一連の実相寺作品をみると、彼が京極夏彦の「姑獲鳥の夏」をどう料理するのか楽しみではある。