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「民族」に対する冷めた視線 2008/1/13
この作品は現代中国に生きる朝鮮族のアイデンティティーが一つの大きなモチーフになっている。しかし、そこから「マイノリティ」への「民族差別」に対する告発の姿勢を読み取るのは誤りである。主人公の母親が貧しいのは、そして男たちが絶えず近寄ってきてセックスを求めるのは、彼女が母子家庭で、ヨソモノで安定した職につけなくて、おまけに若くて美人だからであり、少数民族だからということはほとんど関係がない。映画ではことあるごとに母親が朝鮮族としてのアイデンティティにこだわっている様子が描き出されているが、これはむしろ劇的な変化を遂げている現在の中国に住む人々にとって普遍的な問題である「アイデンティティの揺らぎ」を描き出そうとしたものとみるべきだろう。 自分を包んでくれた共同体的なものから遠く離れて、頼るべきものが何もない生活の中で、母親は民族としてのアイデンティティに寄りかかってみるが、それは何一つ「救い」をもたらさないばかりか、結果としてささやかな母子の生活を破滅に追いやってしまう。彼女と関係を持つ「同胞」の朝鮮族の男が他の漢族の男たちと何一つ変わらないろくでもない存在として描かれていることからも、監督の視点は明確だ。
中国映画の中で、これほど「民族」「国家」あるいは「共同体」に対して徹底して冷めた描き方をしている作品は、僕の知る限りでも珍しい。しかし皮肉なことに、現在の中国の検閲システムの中では、この作品のような描写はむしろあまりに「民族」にこだわりすぎているとして批判されかねない。実はそこにこそ、現代中国社会の抱えている矛盾が象徴されているといえるかもしれない。