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芸術・ 2006/12/30
ベネチアの美しい街並みを表現したキャメラのカットなど、
確かに素晴らしいとは思うが、終始退屈で
観ていて眠たくなってしまった。
映画に何を求めるかによって、この作品の評価は分かれると思うが
私は映画の大部分に、芸術性を求めている人間ではないのでこの
評価としました。
2
昨日の世界の永遠 2007/1/21
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昔テレビで見た作品ですが、値段のあまりの安さに引かれて購入しました。二度ほど見ましたが、驚きました。何度も見るに値する映画です。と同時にほとんど会話らしい会話はなく、出てくる会話自体も発展することはなく、その役割はいくつもの小道具とヴェニスの風景にまかされております。この小道具の象徴とアレゴリオとしての使用はとてもすべて解読できるものではありません。したがっていろいろなモティーフを視聴者が作品に思い思いに投影して想像できるわけです。その作業ができない受け手にとってはただのストーカーの話になってしまいます。私にとっては主人公はマーラーとディアギレフの両者を具現した存在です。外見はディアギレフそっくりといっていいのではないでしょうか。ディアギレフ自身、トーマス・マンのこの作品を読んでおり、そのストーリーをなぞるように男性の取り巻きをつれて、ヴェニスのこのホテルで客死しているほどですから。そしてタディオは私にとってはbalthusです。balthusの少年時代の写真を見てください。もっともbalthusはあくまでも自称ポーランド貴族の末裔ですが。
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マーラーに捧ぐ映像美 2007/6/2
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マーラー第5交響曲第4楽章アダージョが流れる中、主人公グスタフ・アッシェンバッハ(ダーク・ボガート)の乗った汽船が朝靄のたちこめるベネチアに入港する・・・。モネの「日の出の印象」を見ているかのようなこの冒頭の絵画的シーンによって、観客は美しくもどこか退廃的なヴィスコンティの世界に引きずり込まれていく。
トーマス・マンの原作では小説家だった主人公が、作家の意図を汲み、映画の中ではよりグスタフ・マーラーその人に近い作曲家兼指揮者に置き換えられている。写真をみると、映画の中のアッシェンバッハが、かなりマーラーのそっくりさんなのがわかる。
美を制御することを主張するアッシェンバッハではあったが、ベネチア(正確にはリド島)でポーランド人一家の少年タジオを見たとたん、その完全な美の虜となってしまう。ホテル内でタジオを見かける度にドギマギするアッシェンバッハは、映画を観ていると情けなくなるぐらい哀れでしかも醜い。
ヴィスコンティはその醜さに追い討ちをかけるように、老マエストロに死化粧を施す。リドの海辺にたたずむタジオを、浜辺から見つめるアッシェンバッハの額から白髪染が溶けて混ざった黒い汗が醜く滴り落ちる。逆光を浴びながらタジオが指差した先は、天国だったのか地獄だったのか。その答えは、美をひたすら追い求めて息絶えた主人公にしかわからない。
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ルキーノヴィスコンティ 2007/7/10
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ルキーノヴィスコンティ監督の作品は、山猫、郵便配達は2度べルを鳴らす、地獄に堕ちた勇者どもなどを観ていますが本作は別格です.
ゴンドラに揺られベネチア(リド島)に着く老作曲家、ダークボガードが少しわびしい味を出して名演です。
ポーランド美少年タジオに一目ぼれします、ここから先は、この老作曲家の心象風景の中を彷徨うようです。
髪を染め、熱い視線を送るこの男の心情は、トーマスマンが描いた物とは可也違います。
最後の浜辺で、少年が戯れる中、息を引き取ります。
この映画の特殊な感性の衝撃は今も忘れません。
5
おいもとめること 2007/9/27
冒頭からマーラーの5番が流れてきて、まだ青いバックに字しかでてきてないのに胸がぐっと詰まる。
もう一回再生しなおして音楽に浸っているとその青いバックがベニスの夕闇の空に変わってゆく。船からたなびいた煙が水平にはしって、カメラはその煙を追いかけながら船上へズームしてゆく。
惚れぼれするような、出だし。
何故だか私は美しい少年と老いた作曲家の恋と裏切りの話だとおおきく勘違いしていたのだけれど、もっと深遠な、芸術とはなにか、美とは?老いとは?というようなことが胸に湧き上がり、迫る映画だった。
ヴィスコンティはとにかく絢爛な舞台装置のひと、という印象が強かったのだけれど、舞台となったこのホテルはこの撮影のために建てられたものだそう。なんて、贅沢な。
調度品や衣装も時代に寄せて作られたらしい。
特に海辺にたたずむ婦人たちの、顔隠しのレースのついた帽子や、母親役のシルヴァーナ・マンガノの淡いグレーピンクのドレスとか、とても綺麗だった。
なにかでもともとヴィスコンティは衣装に携わっていたことを知って、あのこだわりにも納得。
「美とは努力の末に創りだすもの」という信念を持ち、その上に自分の存在意義を見出そうとするグスタフ(グスタフってやっぱりこのモデルはマーラー?)。
だけどこのホテルで「ただそこに存在する美」である少年に出会ってしまう。
自分の追い求めていたものが覆されるその衝撃よりも、グスタフはその美しさに魅了されてしまう。
追い求めるってこういうことだなあ、と思う。
構築して構築して、だけどあっというまにそれを上回るなにかに打ち崩されてしまう。
でもそのときの喜びったら、ないような気がする。
たぶんグスタフが少年を執拗なまでに追い求めたのは単なる恋心のようなものではなくて、長年こころを寄せ、尽くし、ゆだねてきた芸術(ということばにするとなんだかなあ、だけど)とか生きてきた意味、みたいなものをすべて、この少年の美しさが凌駕してしまったからなのではないかな。
少年の微笑みはちょっと誘うようでもあるんだけど、でも否定的な冷たさじゃない。
凌駕だけど否定じゃない。
だからグスタフは今までの自分の音楽へのあり方について、考えることになるんじゃないかな。
グスタフがかなしいまでに執拗に追い続けたのはかたちとしては少年だけど、自分が追い求めてきたなにかなんだと思う。
最後の方はもうはじめの渋いグスタフは影を完全にひそめて、見ている私が、そんなんじゃ美少年くんに嫌われちゃうよ、とはらはらさせられるくらいの風貌と行動だった。
でもそれでもおいかけたかった。
最後のシーン、あんまりうつくしくて、苦しいぐらいだった。
グスタフはぜんぜんうつくしくない。でも、グスタフがみてるものは比類なくうつくしいもので、最期のさいごに彼がそこに手を伸ばせたということが、ほんとうによかった。
ビョルン・アンドレセンはとても綺麗だった。
天使が間違って成長してしまったみたい。
だけど手を後ろに組んで歩く姿は、グスタフの頑なさに通ずるのではないかな、とちょっと感じた。
絵のように綺麗な顔だけれど体つきは子供でも大人でもない不完全さで、それは美しい不完全さともまた違ったように私は感じた。頼りないような、青すぎるような。
多分一瞬のその時間をグスタフが愛したのは分かるような気がする。
シルヴァーノ・マンガノは『アポロンの地獄』で彫刻のように綺麗なひとだ、と思っていたけれど、やっぱり人間離れした雰囲気を持っている。
このお母さんと少年と家族はポーランド人という設定だったらしいんだけど、どういうわけかこのひとたちの会話には字幕が付いていなくて、それがよけいに触れられないなにかを醸しだしていてよかった。
ただ実際はこの映画を見たヨーロッパのひとたちはポーランド語がわかるひとも多いのだろうから、また違う楽しみ方ができるんだろうな。
ダーク・ボガードの微妙な表情の変化もよかった。
ベネチアに帰らざるを得なくなった、あのときのにやけ顔は、可愛らしかった。
私は、伝染病がこの街に蔓延している、というのは死期を間近にしたグスタフの妄想かと思っていた。
心臓が弱かったというのと、美を追い求めるために燃やしすぎて命を落としたのだろうと思っていたけれど、どうやら、本当に伝染病にかかってしまったという話だったみたい。
いや、でも私の中では伝染病は妄想だということにしておこう。
少年がそこから逃れると知ったとき、老いた自分はその病のなかに置き去りにされ、手折られる。
6
ビスコンティ、ビスコンティ、ビスコンティ!! 2007/10/20
ベニスという土地柄、ここを舞台としている映画はいくつかある。
ジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」デビッド・リーンの「旅情」、ジェームズ・アイボリーの「眺めのいい部屋」等々、名作も多い。
「ベニスに死す」はそうした中でも別格の作品だ。
原作は「魔の山」の文豪、トーマス・マン、監督はルキノ・ビスコンティ。
主人公アッシェンバッハのモデルとなったのは作曲家グスタフ・マーラーで、テーマ音楽にも彼の交響曲第5番、第四楽章が使われている。作品世界の重厚さは紛れもなくビスコンティ・ワールド、彼にしか創り得ない映画だ。
主役にダーク・ボガード、シルバーナ・マンガーノを脇に配し、ビョルン・アンドルセンが美少年タジオ役で衝撃のデビューを飾った。
老い、迫る死への恐れ、若さへの渇望、そして、、、。グスタフの姿はどこかでビスコンティに重なる。
タジオ少年に同伴する母親に取り入ろうとコアフュールで若造りをする姿は、彼がさげすんでいた道化者のよう、それが死化粧となってしまう皮肉、熱と汗で溶出したマスカラが顔面を這い、退廃の極みのような死にざまはいかにも凄絶でビスコンティ好みだ。
ビスコンティ作品は、私にとって好きとか嫌いとか言うレベルを超えている。
その完成度の高さは今更言うに及ばない。そんな彼の作品群の中でも屈指の名作、いずまいを正して、じっくりと対峙、鑑賞したい。