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この世で最も美しい映画のひとつ 2003/10/13
おそらく映画史上最も美しい映画の一つだと思う。
人間の間で普段から存在している階級、民族、宗教、国家など様々な壁が、戦争の時に一方では崩壊するかのように見え、かといって他方では厳然としてなお存在しており、その二つの対極の間に人間が揺れ動いて苦悩する。この映画はまさに第1次世界大戦を背景にそういう苦悩を描いているのである。敵同士であるはずのドイツとフランスの将校の二人が、お互いが貴族階級に属しているというだけで親しくなるが、いざというとき、国家と義務という「壁」にぶつかって悲劇を避けられなかった。愛し合うフランス人男性とドイツ人女性や、逃亡中に苦楽を共にした労働階級のフランス将校と富裕なユダヤ系フランス将校でも、それぞれにお互いの間の「壁」を超越した!一瞬はあったが、「壁」は遂には崩れなかった。それでも、壁を超越した時、たとえそれはただの一瞬だけだとしても、何と美しいことか!『大いなる幻影』はそういう人間の美しさに溢れる気品豊かな映画なのだ。壁なき世界という理想を掲げながら、現実の厳しさも決して無視していない物語は、力強いメッセージを観る者の心に訴える。 演出は今から見れば少し違和感を覚える部分はなくはないが、超一流の演技と普遍的なメッセージは、この作品が古い(1937年)ということを全く感じさせない。しかも名場面が多く、例えば『カサブランカ』のような後世の映画では、この作品の影響が容易に認められる。「味方」のフランス側の登場人物と「敵」のドイツ側の人物の描写は、安易な「善玉(フランス)vs悪玉(ドイツ)の対立構図には決して持ち込まず、むしろ両サイドの人間を等しく等身大の生身の「人間」として描いており、人間の普遍的な尊厳を声高に謳歌していると同時に、お互いと根本的には同じはずの人間同士の戦争の愚かさを暗に批判する。戦争映画とはいえ、残虐、凄惨なシーンは一つも無い。しかし文字通り血湧き肉躍る現代の反戦映画よりも遥かに戦争と人間の本質を捉えている。 このDVDは90年代に発見されたオリジナル・ネガから丁寧に復元された「決定版」だそうで、古い映画にしては映像がとてもきれい。日本語字幕は劇場のあの特徴的な手書き風字幕を採用。作品の簡単な歴史とキャストを紹介する解説書も付いている。映像特典はフランス版予告編(日本語字幕なし)しかなく、値段の割には物足りないと思う。
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大統領も推薦 2005/9/25
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ルーズベルト大統領が「民主主義者は皆、この映画を観なくてはならない」と推薦したそうです。
アメリカではヒット、一方ドイツやベルギー、イタリアでは上映禁止になりました。
特にドイツではゲッペルスに「映画における敵No.1」と指定されたそうで、話題だけでも大したものです。
これほど多くの言語が飛び交った映画は当時は存在しません。
ルノワールの徹底した現実主義がこの映画を完成させ、恐らく唯一世界中でまっとうに評価されることになったのです。
戦前のルノワール映画として、もっとも「気狂い」じみていないと言えます。
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戦争に参加した者達への大いなる鎮魂歌 2006/4/10
戦争とは、人類の最も愚かな行為であるが、同時に平時には生ま
れない、美しい人間同士のつながりを媒介する。顔も知らず、ただ
生まれた土地が違うだけで殺しあうこともあれば、国境線を越えた
途端に構えた銃を下ろす。この、お仕着せのヒューマニズムでは決
して語りえない世界を、放埓な捕虜収容所等、やや過剰なカリカチ
ュアを含みながら描く。
近代国家による総力戦争であった第一次世界大戦は、連合国と枢
軸国という単純な二項対立の中に、いくつもの対立軸をモザイク状
に孕んでいた。フランス対ドイツ、ユダヤ対フランス、貴族対平民
等々。また、詳しくは描かれないが白人対黒人という図式も当然存
在していた。
そのような現実の中で起こった、平民中尉と貴族大尉の祖国愛を
媒介とした友情。フランス革命による国民国家という「大いなる幻
影」は、貴族階級を無用の存在として消えゆくしかないものへと追
い落とした。
その運命に殉ずるかのように、自らの犠牲を省みないドバルデュー
大尉の生き様が胸を打つ。肝胆相通ずるドイツ貴族将校との友情を
捨て、平民将校との間に通じ合えない壁を感じつつも、自らを滅ぼ
す国家への忠誠心を抱いて死んでいくその姿は、失われてゆく貴族
世界への哀切極まる鎮魂歌となった。
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裏切られた幻影--「最後の戦争」はいつ終わるのか 2006/8/15
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画家のピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の息子である、フランスの映画監督ジャン・ルノワール(1894-1979)の名作である。
第一次世界大戦中、ドイツ軍の捕虜に成った二人のフランス兵を中心に、他のフランス兵、ドイツ人将校、農家の主婦など、様々な人々の人間模様を描く、静かな、深い作品である。
題名の『大いなる幻影』とは、映画の最後で、脱走した二人のフランス兵が、国境を越える直前、交わす次の様な会話から取られて居る。--「これが、最後の戦争に成るのかな?」「お前の幻想だよ!」--1980年代、『戦場のメリークリスマス』の撮影が開始された時、監督の大島渚監督が、「ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』の様な映画を作りたい」と言った事が思ひ起こされる。
この映画(『大いなる幻影』)が公開されたのは、第二次世界大戦前夜の1937年の事であった。それから、このフランス兵が口にした「幻影」は、何度裏切られた事だろうか。
(西岡昌紀・内科医/61回目の終戦記念日に)
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エリッヒ・フォン・シュトロハイム 2005/10/11
収容所の所長役、”怪物”、エリッヒ・フォン・シュトロハイムに注目!。当時は、監督のルノワールよりも格からいったらシュトロハイムのほうが上です。
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よかったが・・・ 2006/12/6
名作と呼ばれるほどのものかな~?とも思った。
「戦場のメリークリスマス」の捕虜たちと違って、だいぶ紳士的扱いを受けてるので、誰が捕虜で誰が管理する側なのか最初は識別しづらかった。
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貴族の死に様 2007/1/15
どんな映画かと言うと,一言で言ってしまえば,
「戦争中に敵国の捕虜となった兵士達が
収容所からの脱走を試みる話」
いろいろの苦労があった後で,脱走が成功して終わる,
そんなありきたりな物語の中で,
唯一,異色を放ったのが,ある不可解な行動をとる一人の捕虜.
彼は,仲間の捕虜達の脱走計画にも乗り気ではないし,
祖国善戦のニュースを伝え聞いても仲間達のように喜ばない.
まるで戦争が終わることも脱走が成功することも
望んではいないような態度なのだ.
そんな彼の態度を理解する上で重要なのは,次の台詞.
「この戦争を最後に,我々貴族の時代も終わるだろう」
貴族階級出身の彼にとっては,戦争の続いている間だけが,
貴族としての自分でいられる最後の瞬間なのだった.
もし彼が自身の身分にこだわりを持っているとすれば,
戦争の終結よりも継続こそが
彼の望むところだったとしても不思議ではない.
戦争の終結が見えてくる中で,
彼を始めとする貴族階級出身の兵士達は,
その後の生き方の選択を迫られていたのだろう.
元貴族の退役軍人として一生を終えるのかどうか,
少なくとも彼にとっては,そんな人生を送るくらいなら,
今の内に,貴族としての栄誉ある死を選んだ方が
ましだったのだろう.
彼は,自分の命を犠牲にすることで,
仲間の脱走を成功へと導くのだが,
それは単に仲間のための自己犠牲と言うばかりでなく,
自分が,貴族としての栄誉ある死に方
(仲間のために死ぬと言う死に方)
をしたいがための利己的な行動でもあったのだ.