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モンスターというラベルの奥 2006/2/12
アメリカ犯罪史上初の女性連続殺人犯アイリーンをシャーリーズ・セロンが別人かと思うような役作りで演じている。
最底辺の娼婦稼業に疲れ自殺も考えていたアイリーンは、最後の5ドルを使うために入ったバーで少女セルビー(クイスティーナ・リッチ)と出会う。セルビーも同性愛として社会から疎外され、父親から抑圧されている。
文無しのアイリーンは、次の夜の再会のために客を取るが瀕死の暴力を受け、殺してしまう。
殺した男の金で二人は一緒に暮らし始めるが、生活の糧はアイリーンの仕事しかない。彼女の仕事は娼婦ではなく強盗殺人になっていく。
美人女優の面影すらない汚れ役メイクでセロンが圧倒的。対するリッチも不安定で矛盾に満ちた10代の少女を演じきっている。
「モンスター」はアイリーンにつけられたあだ名らしいが、人を愛し堅気に生きることを希求しながらも、破滅へと突き進んでいくアイリーンの生涯になんと言ってよいかわからない。
モンスター=人間でない者と切り捨てられればいいのだが、彼女も人間で、善く生きることを望んでいた。
パティ・ジェンキンズ監督とセロンはアイリーン本人にコンタクトをとりつづけ、死刑執行前夜に本人の了解を得て映画化した由。
本当にズシリと重たい映画だった。
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愛を描いた映画です! 2005/4/24
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アメリカで最初の女性による連続殺人をテーマにした、実話に基づく映画です。
「純粋なものが最も人を苦しめる」映画の中でアイリーンが語る台詞ですが、この台詞がこの映画の全てを決定しているように思います。映画の冒頭のバーで、もしもアイリーン(シャーリーズ・セロン)がセルビー(クリスティーナ・リッチー)と出会わなかったら、そして仮にセルビーと出会ってもセルビーを愛することがなければ、アイリーンは手持ちの五ドルを使いきった後で自殺したでしょう。愛することさえ知らなければ、モンスターと呼ばれた連続殺人犯もきっと生まれなかったはずです。「愛」、この純粋な感情がこの映画に描かれる全ての悲劇の発端です。「愛」というものの罪、「愛」というものの苦しさがこの映画には描かれています。連続殺人の映画ということで、バイオレンスな描写もありますが、この映画はまぎれもなく「愛」の映画だと思います。 また、この映画を見ると、アメリカという国は、暴力の被害者や、同性愛者、そして不幸にして道から外れてしまった人といった社会的少数派にとっては辛い国なのかなぁという気がします。実際、映画の中で主人公のアイリーンは、愛するセルビーのために娼婦から足を洗ってまともな仕事に就こうとするのですが、いとも簡単に断られてしまいます。しかも、その断られ方に人情が無いんですね。日本の職安でも、もう少し優しいと思うのですが、どうなんでしょう? 生まれてから死刑に処せられるまで、ほとんど幸せというものを知らずに過ごしたアイリーンが映画の最後で言う台詞、この台詞は見るものの胸に強く訴えるものがあるので、ぜひ自分の耳で聞いてみてください。
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あまりにも哀しい 2006/6/1
あらすじを知った上で観たものの。
いざ観てみたら、痛々しすぎて涙が止まらなかった。
ありきたりと言えば、ありきたりな話だけれども実話だと思うとやるせないものがある。過信や過度な感情移入は危険かもしれないが、リーが哀しい女性だったことは間違いない。
リーが語る自らの過去に、もし虚言が含まれていたとしても。
リー視点で描かれているので、セルビー視点で描くとまた全く違った話になるんじゃないだろうか。
見所はなんと言ってもシャーリーズ・セロン。
外見の変貌振りも去ることながら、その演技も本当に素晴らしい。迫真の演技とはこの事かと思った。
内容が内容なだけに決して万人向け、娯楽を求める人向けではないが、凄惨な人生を覗き見る覚悟があるなら、1度は観てみても良いと思う。
最初の殺人を犯した時の震える体、警官を殺した後に手帳の写真を見て止まる目、泣きながら雄叫びを上げ発砲したその姿。
モンスターと表題にもなっているけれど、彼女は間違いなく人間であったと自分は思った。
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悲惨な人生。S.セロンの信じられないような熱演 2005/10/29
この映画は実話がベースで、悲惨というしかない悲しい女性の短い人生を描いています。モンスターと言われたアイリーンはすでに処刑されています。連続殺人犯としての死刑はやむを得ぬかもしれませんが、映画を見る限り、彼女にとってはNO WAYだったのではないでしょうか。見ていて、とても辛く、ヘビーな映画でした。この映画を事前になにも情報もなく見たら、アイリーン役があのシャーリーズ・セロンとは誰も信じられないでしょう。鬼気迫る熱演です。13キロ体重を増やしたそうですが、だからあのリアリティが出てきた。そう思います。彼女自身、辛い過去を持っていたからこの役を引き受けたのでしょうか。普通の俳優だったら怖気づく、それくらいの役づくりです。幼い頃レイプされ、13歳からの娼婦生活。彼女には心の休まる「家族」がなかった。同性愛のセルビーとの関係を続けるためにアイリーンは犯罪を重ねていくが、アイリーンにとってはじめての家族のような存在だったに違いありません。見ていて、同情をこえたある種の憐れみを感じるとともに、犯罪はモンスターでも彼女自身は若くして、これ以上はないという、悲惨な経験をし、傷つけられた被害者であり、本当は普通の女性だったのではないか、セロンの熱演はそう感じさせてくれます。ヘビーな映画ですが、ずしんとくる力作で、セロンという俳優の力量に驚かされました。
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無知と無理解が紡ぎだす物語 2005/3/30
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シャーリズセロンの変身っぷりを観にいった客の一人ですが、
女優さんは、映画が終われば現実の華やかな世界に戻れるものの、
絶望が溢れる中で生涯を終えたアイリーンを思うと複雑な心境です。
ただ断わっておくと、シャーリーズは単にアイリーンという女性を
利用したのではなく、プロデューサーをかってでて、
彼女の生涯を記憶、記録するための努力をしているし、
それに成功していると思う。
シャーリズセロン演じるアイリーンは、
無知で横暴でプライドも高くて、純粋。
あまりに短絡的な行動に苛立ちすら覚えてしまうこともあるが、
彼女がそうなったのは偶然でもなく必然的な印象が残る。 クリスティーナリッチ演じるセルビーはもまた
孤独な少女。経済的にはまだ恵まれていたものの、
周囲は同性愛者である彼女を理解しない。
幼さとずる賢さが同居する女性、その難しい役どころを
みごとに捉えていると思う。 二人ともいわゆる「普通」の環境で育ったといえないかもしれない。
だから犯罪に走るっていうのは言葉でいうと簡単だ。 でもこの二人が欲しかったのは「普通」の暮らしである。
特に贅沢しようとしたわけでもなく、二人でデートして
二人で暮らして、ある程度の生活をするためのお金と
周りの理解が欲しかっただけなのだろうと思う。 それを叶えるのが彼女たちは「普通」の人よりあまりにも
困難だったのだ。あまりに哀しいモンスター。
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才能をもった多くの映画人が集うと、こんなに優れた作品を作る事ができるという例 2005/5/23
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娼婦のリーは人生に嫌気がさして自殺を考えるのだが、稼いだばかりの5ドルを死ぬ前に使ってしまおうとバーへ立ち寄る。そこでセルビーと出会ってもう少し生きてみようという気になるのだが、リーはやがて売春相手の客を殺してしまい…。
客にレイプされた末に相手を射殺する場面のシャリーズの演技は圧巻。こうした役柄であのシーンをあれほどまでの迫力で演じ切れる女優が日本に果たしているでしょうか。型どおりではない、胃の腑の奥底から激しく一気に突き上げてくるような彼女の感情表現に、見る側も拳をぐっと握りしめながら見つめることを求められる、そんな場面です。 人を殺した後の彼女の乱れた呼吸音が、私の耳の奥にずっと残っています。人の命を奪ったことに対して戸惑いや激しい怒りをおぼえ、気持ちの整理がつかない彼女の内面が、あの乱れた呼吸音のなかに染み込み、広がっている様を見ました。 シャリーズに対峙するクリスティーナ・リッチーも見逃せません。「アダムス・ファミリー」や「アイ・ラブ・アリー」などのコメディも見事にこなす彼女ですが、この映画では当初は愛情に飢える弱々しい女として登場しつつも、やがてどこか自分に対して怠惰な女の顔を現し、最後は保身に走る身勝手さを見せるといった具合に、不安定で脆いセルビーの変貌を無理なく演じきっています。 おそらく見る側は映画の過半まではリーのことをやむにやまれぬ殺人を犯した女としてわずかに心寄せる思いで見るかもしれません。しかし彼女の最後の殺人は、私たちの甘い感傷を見透かしたかのように、心に一気に冷や水を浴びせかけるほど救いのないものです。これほど秀逸な脚本を、長編映画の経験が全くない監督が書き上げたということに驚嘆します。 才能豊かな人々が大勢集まって一本の映画を作り上げるアメリカ。その「底力」を見せつけられる作品でした。
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哀し過ぎる 2006/2/7
人間にとって愛情と教育がいかに重要で必要不可欠なのものであるかを痛感させられた。主人公アイリーンに対し、目を背けたくなるような暴力をふるった客を、殺害した後、叫び声をあげるアイリーンは観ているのが辛くなる。シャーリーズ・セロンは13キロ体重を増やしこの役に挑んだが、脂肪を増やしただけでなく、愛情を知らず、最低限の教育すら受けてこれなかった人間のなんともいえない悲哀をもまとっている。正直、正視に堪えなかった。それぐらい鬼気迫る演技だった。最初の殺人を犯した後、売春から足を洗おうと必死にもがくものの、結局、彼女を頼るセルビーとの暮らしを優先させるため、道端に立つ日々を選ばざるを得なくなる。そして殺人を繰り返して行く。どうしようもなく短絡的ではあるが、自分を取り巻く環境や境遇を諦めつつも、本心では抜け出したいと思いながらそれが出来ないことに気づいているアイリーンが哀しい。映画は最後、セルビーに裏切られたアイリーンの哀しげな目で幕を閉じる。正直、観終った後、ずしんと嫌なものが心に残る。
映画そのものの感想は、哀しく、切なく、観たくないものを観てしまったという思いが残る。
そして何より、シャーリーズ・セロンに何故、この役を選んだのか、何故あんなにもアイリーンという女性を理解出来たのかを聞いてみたいと思った。
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どうして、愛を知ってしまったんだろう 2005/6/5
ひとりでレイトショーで観に行った映画でしたが、終わって帰る途中、帰ってからもずっと余韻が消えなかった。本当に重苦しい映画で、役者はテンションを持続するのが大変だったでしょう。クリスティーナ・リッチーもとてもうまかった。やっぱり目で演技が出来る役者は懐が深い。
ひとことで言うなら、依存というものを描いているような気がした。アイリーンはセルビーに、最後の望みをかけて綱渡りのように歩み寄っていくけれども、その気持ちは報われない。 それからジャーニーの「ドント・ストップ・ビリービン」の使い方がすごくうまかった。ふたりが人目もはばからず抱き合っているシーンに流れ、アウトローといったら違うかもしれないけど、そういう雰囲気が凄く良く出ていた。 一生忘れられない映画になりました。
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裏切られた愛、あなたのためにがんばったのに・・・ 2005/8/6
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心ならずも娼婦として生きていたアイリーンが同性愛者セルビーと運命的な出会いをする。絶望の中にいた彼女は、自分を慕ってくれる彼女のために生きる決心をする。彼女にとってはまさに生きがいそのものとなる。彼女のためにならなんでもしようと心に決めるアイリーン。その一方でセルビーは彼女にあれこれ甘ったれるだけ。
愛し合っていると思っていた少女セルビーの法廷での裏切りは彼女にとっては信じられない出来事だったに違いない。ラストの字幕「このあと彼女らは一言の言葉も交わさなかった」は、どこまでも救われないアイリーンの運命の悲しさそのもの。観終わった者は彼女を単純にただのモンスターとは見ない。連続殺人事件の犯人の人生の裏に存在したもう一つの真実に胸打たれることとなる。
実話が元だけにこの悲惨な結末には言葉を失う。
あえてしまりのない体型にした上に、義歯を付け、特殊メイクを施して、持って生まれた「美貌」をかなぐり捨てて取り組んだシャーリーズ・セロンから、作品への思い入れの深さ、情熱が伝わってくる。アカデミー賞は彼女にとってあくまでも結果であったには違いない。しかし「美貌」を捨てて役つくりに取り組んだ彼女の女優魂に拍手を送りたい。
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ここ数年でもっともインパクトの強い映画のひとつ 2005/8/8
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こういう作品が生まれるところを見ると、ハリウッドも捨てたモンじゃないという気がする。人間の背負った「業」をこれだけ掘り下げられるのは実話に基づいた話でなければなかなか難しいだろう。日本では、今村昌平の「復讐するは我にあり」がこれに肉薄していると思う。今後、表現芸術は、文学であれ映画であれ、人間のこの部分に光を当てるのでなくてはほとんど意味がないとさえ思う。その意味、宮部みゆきの「模倣犯」など非常に幼稚だと思う。それにしても、普通に見ていてシャリーズ・セロンと気が付く人がいるのだろうか。まさに俳優魂を見せ付けられる思いである。クリスティーナ・リッチも素晴らしい。