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やっぱり、秀逸 2003/6/24
ゾっとするのは、生首が笑う・犯人の形相が変異する・恨みを晴らしたかの様に大地に落武者が立つ・・などというイメージ映像ではなく、犯人が判明し、金田一が『犯人自身も知らないであろう不思議な事実』を語る場面だ。ここで一気に『日本人にしか通用しない恐怖』が噴出する。
『皆が死んでから犯人を解明する金田一のもどかしさ』は良く伝えられることろだが、本作品についてはそれが幸いしているか。
ラストシーンでエピソード的に辰也の実父の出自について触れている部分はご愛嬌だが『偶然か否か』を云わぬ決着が観る者の恐怖を持続させ『何度観ても背筋が凍る』作品と感じるのは私だけか。 そして散り桜の下を狂走する山崎努の映像は人間業とは思えない、否『誰にも在る心の闇』が映像化されて!いて映画に詳しくない私からすれば、役者の力量によるのか監督の才能かはたまた優秀なカメラマンのせいかは知らないが、記憶に焼きつく『恐ろしくも美しいシーン』だと感嘆するばかりだ。
PS 豊川悦司主演バージョンが比較され不評な声が多く私も反対はしないが、10代の若い世代が両作品を観てどう感じるのかという点にとても興味がある。
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恐怖の原点はここにー 2005/3/14
私も小学生の時TVで見てトラウマを受けてしまった人間の一人です。何しろ2-3か月の間、夜一人で寝ることが出来ずに父親に添い寝してもらっていたくらいでした。 30過ぎになるまで,私はホラー映画が大嫌いで、ほとんど見ることがありませんでした(今はおくれを取り戻さんとばかりに結構見ていますが)。理由をいろいろ考えてみるに、どうもこの映画が原因だったのではないかと思います。恐い話はそれ以前から苦手だったのですが、今振り返ってみると、この映画が最初から最後まで見た初めてのホラー映画(ではないんでしょうが、私の中ではそうなっています)だったような気がします。免疫ほとんど0の状態で、初めて見た怖い映画がこれじゃあ、ホラーをその後見れなくなったのも無理はないでしょう。
ーで、20数年ぶりに友達と一緒にこの作品を見直しました。さすがに今見ると落ち武者惨殺のシーンなんか全部作り物とわかってしまい、それほど怖くはありませんでした。 しかしそれとは別に、映画そのものの完成度に驚かされました。あの狂走する山崎努を横からとらえたスローモーションなんか、ちょっと息をのむような美しさ。犯人がクライマックスで見せるあの“眼”なんか、恨みの固まりと同時にどこか悲しそうで、怖いやら美しいやらー、もう何とも言えません。 物語自体はめでたしめでたしで終わりますが、何とも言えない不気味な感覚は観客の胸に永遠に残ります。これぞ真のホラー(って、ホラー嫌いのくせに言ってるよ)。 近年、欧米人の間で日本のホラー映画はブームになっていますが、彼らのほとんどは“八つ墓村”を見ていないのです。何とも口惜しいじゃありませんか。 いつか見せてやりたい、と思うのは私だけでしょうか?
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推理映画を恐怖映画にアレンジした大胆さと覚悟 2006/7/11
この映画作品の勇気あるところは、「祟り伝説を利用した連続殺人事件」であったという原作のプロットを、「本当の祟り」へと変更したことでしょう。
この作品の原作はとてつもなく膨大で登場人物も多く、おまけにトリックの複雑怪奇さは他作品の比ではありません。
その証拠に、「八つ墓村」は横溝作品として最も多く映像化された作品ですが、そのどれもがかなりの省略・簡素化をやむなくされています。
この巨大な原作の映像化として野村監督が出した答えは、原作の内容をはしょってまで忠実に描くよりも、思い切って犯人が隠れ蓑に使った「八つ墓の祟り伝説」を主題にしてしまうことでした。
この改変は、原作と映画作品の関係の、一つの見本かも知れません。
忠実に映像化することも正論であり、この作品のように、独自のアプローチで迫ることもまた正論でしょう。
原作では何十ページにも及んで描かれたクライマックスの金田一による謎解きは、圧倒的なカタルシスを読者に与えますし、本作の最も痛快で面白い部分なのですが、この映画はそれを全く描かないという、思い切った判断をしています。
そしてその代わりに据えられた、鍾乳洞内の圧倒的な恐怖。
恐怖映画としてのスタイルを貫いた結末に、こういう映画の作り方もあるということを教えられた思いがしました。
もっとも、この映画を見て「八つ墓村とはこのような物語なのか」と誤解されてしまうこともまた歯がゆいので、是非原作も併せてお楽しみいただきたいです。
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日本の夏 2005/7/29
舞台を夏に限定した日本の映画って、いい感じのが多くて、「ウォーターボーイズ」とか、「がんばっていきまっしょい」とか、山崎まさよし主演の「月とキャベツ」とか。古くは風間杜夫の「異人たちとの夏」、伊丹十三の「お葬式」。もっと古くは黒澤明の「天国と地獄」なんて、数え上げればキリがないんでしょう。でも、この「八つ墓村」は別格。日本の夏には海やプールの楽しいイメージと同時に、先祖の魂が帰ってくるお盆とか、戦没者追悼とか、肝試しみたいな結構おどろおどろしいイメージがありますが、この映画にはそういうのが凝縮されてます。最近ではさらに、昭和への憧憬まで加わってきました。毎年、梅雨が明けて暑くなってくると、この映画が見たくなります。今年も枝豆食いながら見ました。主役の辰弥が本家に泊まらされて、寝苦しさに目を覚ますと、例の双子の婆さんが提灯もって中庭を横切っていく。あのシーンなんて、ほんと蚊取り線香の匂いが漂ってくるようです。こういうのって、この国に生まれ育った者同士にしか理解し得ない感覚でしょう。
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「最も恐かった映画は何か」と聞かれたら何と答えますか・ 2004/9/24
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今まで見た中で最も恐かった映画は何か、という話題で盛り上がったことがあります。この『八つ墓村』をホラーにくくってしまうのは暴挙ですが、子どもの頃に地上波で見て、しばらくは夜恐くて1人で寝ることが出来ませんでした。私にとっては等身大の「最も恐かった映画」です。その場でも絶大な賛同を得ました。みんなあの落ち武者殺しや山崎努の殺人鬼、そして鍾乳洞での豹変・追いかけられるシーンを強烈に覚えていたのでした。
この映画では推理小説としてのロジックな面は後退していると言えます。でも我々が金田一シリーズに持っている印象は、旧家の因襲と愛憎と「おどろおどろしい」事件の数々であり、この『八つ墓村』こそ最もそのイメージに近いものなのだと考えられます(当時あれほど怪奇趣味で喧伝された『犬神家の一族』は今見ると案外スマートな切れ味です)。戦国時代から続く怨念の輪廻。芥川氏による重厚な音楽もこの作品世界にぴったりです。
主人公の辰弥の体験は当時の若者が求めて彷徨した「自分探しの旅」に他なりません。その結果日本の原風景とも言えるものに出会うのですが、同時にそのカタストロフィの現場をも目撃することになるのです(『悪霊島』での古尾谷雅人の役柄も同じです)。当時日本の各地で大小こそあれ同じ現象が起こっていたのではないでしょうか(田中角栄の「列島改造」論で日本中に高速道路が作られ出すのもこの頃)。この様な1970年代の若者こそが真の主役であり、映画館に訪れた人達が自己投影したのだと思うのです。賛否両論ある渥美清の金田一耕助ですが、私は何か刑事コロンボみたいなこの感じが、合理性で情念世界を切り分けるトリックスタートしての狂言廻し役を見事に演じていて、本来の姿のようにも思うのです。あの頃あれほどまでに横溝ブームが巻き起こったのはこんな時代の心象があったからなのです。もうこんな美しく恐ろしい映画は作られないでしょう。
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怖く、切なく、美しい。。 2003/5/31
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子供の頃、TVで観てトラウマになりました。小川真由美さんの鬼気迫る演技に惚れ惚れし、また震え上がりました。実話に由来する山崎努の殺戮シーンも凄まじい迫力です。また風景描写が美しく、心が洗われます。ショーケンや寅さんもいい感じです。これだけの内容が手に入るなんて贅沢極まりないですね。
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怖い!でも何度でも観たくなる 2003/1/3
おどろおどろしい横溝作品の世界へタイムスリップさせられ、ぞっとするような怖さを味わわせてくれます。
作り物という感じがしない映像、小川真由美さん、山崎努さんをはじめとする俳優さん達の鬼気迫る演技、スケールの大きな音楽、どれをとっても素晴らしい出来栄えなので、原作以上に面白くそして本当に怖い!
また、萩原健一さんのナイーブさ、中野良子さんの哀しい美しさ、渥美清さんの朴訥さが醸し出す切ないトーンが、作品をより魅力的なものにしていると思います。
もう何度も観ているのに、また観たくなってしまう大好きな作品です。
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横溝映画の中では秀逸 2003/1/6
横溝正史の原作を映画化したのもは結構あるが、その中では秀逸だと思う。
怖さの中に芸術っぽさもあるし、堪能できる一本。
それまでは石坂浩二とか古谷一行が金田一耕助の定番だったが、渥美清もなかなかのモノだった。
横溝正史は、渥美清が一番金田一のイメージに合っていると言っていた。
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怖いけど、美しい… 2002/5/12
この映画を観てから原作を読みました。はっきり言って、原作よりはるかに感動できます。
野村芳太郎監督の重厚な画面に、芥川也寸志の美しい音楽が重なり、文学的な雰囲気が漂います。
小川真由美と萩原健一が鍾乳洞の中を探索するシーンはあまりに美しく印象的です。
原作とは違って、犯人が殺人を繰り返していく理由が、金銭的な欲望に終わらないところがゾッとします。
加藤嘉の演技は必見!本当に死んでしまったか、と思ったくらいです。
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おもしろい、ただそれだけ。 2002/12/12