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迫力と怒りの傑作ドキュメンタリー。 2006/2/4
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2000年に実際に起こったバスジャック事件の記録映像と事件の背景にあるブラジル社会の貧困とストリートチルドレンの問題を数々の証言を絡めて描き上げた傑作ドキュメンタリー。バス174事件はTVによって生中継され、多くの人々が事件を目撃した。だが、多くの人たちは退屈しのぎのクライム・ショーを見ていただけだろう。ショーを見ていたみんなの気持ちはサンドロが最後に死ぬことを期待していたに違いない。本作品は事件の映像を時系列に沿って描くと同時にサンドロがどのような人生を辿って本事件に行き着いたかを丹精に描いている。そこにはブラジル社会の闇の部分が明確に浮かび上がってくるがこれはブラジルだけではなく程度の差こそあれどこでも共通の問題ではないかと思う。貧困とドラッグ、そして暴力によって子供たちが居場所を失い、路上で生活することでギャング化してゆく。ストリートチルドレンたちは怒りによって反社会的な行動をしてしまうのだが、これは明らかに現代社会の欠陥によって生み出された結果だ。彼らの過酷な日常、ドラッグによって正常な思考を失い堕落していく人生、チャンスもなく仕事にも就けない。これは他人事では決してない。我々の社会に突きつけられた拳銃と同じである。彼らの自立なくして我々の文明の成長もないと言っても過言ではないから。私たち人類は、これらの問題を解決し、全員が人間らしく幸福に生きていける社会を目指さなくてはならない。なぜならわずかでも貧しく飢えた人がいる限り人類全体は幸福になれないのだから。「神との対話」にこう書いてある。貧しい人、困っている人、弱っている人、飢えている人たちをどう扱うかによって文明の成長の度合いが測れる。我々の文明は今なお低レベルと言わざるおえないだろう。
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路上の現実 2005/11/26
冒頭、鳥瞰映像がリオ・デ・ジャネイロの街を写すだけで、恐ろしい予感に胸が苦しくなる。海岸線から豪奢な家々を越え、ゴミ捨て場と見紛うファべーラ(スラム街)を挟むと、高級ホテルそびえる国際的ビーチ・リゾートまで数秒。世界広しと言えど、ここまで極端に富と貧が隣り合わせになった場所もそうないだろう。ブラジルでは中継映像が延々テレビ放映されたこのバス・ジャック事件、監督はフィットネス・クラブで足止めされ映像を眺めていたそうだ。当時犯人に関する情報はほとんど報道されず、その後判明したのもストリート・チルドレンだった事実のみ。中継映像を掘り起こし、被害者、警察、SWATの者、昔の仲間、福祉関係者、プロの犯罪者にまでインタビューを重ね、あちこち訪ねて犯人サンドロの人生を洗い出したのがこのドキュメンタリー映画なのだ。
ある時点で、彼が無事にバスを降りることはないと確信せざるをえないはずだ。刑務所の酷い環境や路上での生活には未来はないし、そもそもこの犯行自体声なき者の無言の抗議、社会に黙殺され続けた目に見えない者たちの精一杯の抵抗、娯楽として事件を消費するメディアを逆に利用した主張ではないか。そう思うと、被害者の少女の「本気で私たちを殺そうとは思ってなかった」「彼こそ被害者だ」という言葉が重く響く。事件が悲劇で終わることも容易に見えるのだ。ただ、どれほど想像力を働かせてもこのエンディングは描けないだろう。それほどの衝撃が甘い予測を踏みつぶす。誰かが映画を撮ったのだから、彼の叫びは我々に届いただろうか。確かにその行為は許せないだろう。ただ、他の形で声を上げられない者の存在をどう考えるのかという問いが残るのだ。我々も彼らを無視し、ひとつの娯楽として事件を消費するのだろうか(どう言い訳をしようが、この映画を見る理由に生の「悲劇」を見たいという好奇心があることは否定できないのだから)。
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ブラジルの子供たちをめぐるやりきれない状況をつきつけてくる優れたドキュメンタリー 2006/2/21
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2000年6月、リオデジャネイロで174号系統の市内バスが青年によって乗っ取られる。人質に銃を向け、警察当局に要求をつきつける彼の名はサンドロ。四方がガラス張りの密室の中で展開される彼の凶行はテレビ局によってすべて中継され、数百万人が目にすることになる。サンドロが人質の一人とともについにバスを降りたとき、事件は思わぬ展開をみせる…。
ブラジル最大の放送局グローボが撮影した事件の映像を縦糸に、そしてサンドロの悲しい生い立ちや彼を含めた多くのストリート・チルドレンの惨状を横糸にして紡ぎ上げた、骨太のドキュメンタリーです。
サンドロの行いは決して緻密な計算に基づいたものではなく、破れかぶれで行き当たりばったりです。ですから警察には彼を射殺して事件を一気に解決するチャンスはいくらもありました。しかし警察は生中継中のカメラが狙撃場面を捉えることを恐れ、結果的に無為無策なまま事件を長期化させてしまいます。
この事件が日本からは遠い南米というなじみのない場所で行われただけに、私は当時これを報道で目にした記憶はありませんでした。結末を知らずにこの2時間に渡るドキュメンタリーを見続けるのは、この上ないほど激しい緊張を伴う体験でした。
大変優れたドキュメンタリーですが唯一の難点は、この事件に関わった人質や警察当局者の膨大な証言をつなぎ合わせて作った作品であるために、ポルトガル語が一言も分からない私は日本語字幕を長時間必死で追いかけ続けなければなりませんでした。つまり画面下の字幕に視線を固定せざるをえず、せっかくの記録映像の細部にまで目をやるいとまがなかなかありませんでした。こうした点を補うためにも、DVDには日本語吹き替え音声を設けるべきだったのではないでしょうか。
*類似のブラジル作品として以下のものをあげておきます。
『カランジル』
『シティ・オブ・ゴッド』
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表に見えない子供たち、見ようとしない大人たち 2006/3/25
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ストリート・チルドレンとして育った青年サンドロ。彼が引き起こしたバスジャック事件の顛末を捉えたテレビ映像と関係者の証言を交錯させながら、ブラジルの子供たちが置かれている暴力と貧困の悲惨な状況が克明に描き出された記録映画。「ストリート・チルドレン」と呼ばれる子供たちの存在を無視しようとするブラジル社会への告発とも言える内容だ。
監督のジョゼ・パジーリャが自分の足で取材して回った背景調査の内容や、関係者の声によって、バスジャック映像の後ろに隠れた真実、何よりマスコミが何も語らなかったサンドロを中心に据えた「事実」が暴かれている。Special featureの「メイキング」と「未使用インタビュー」は、このDVDにとっては本編と同等程度にまで重要な「記録作品」といえる。顔にぼかしが入っていたり、覆面、眼出し帽姿の人物も登場。誤魔化さない真の映像、真の言葉を見聞きすることが出来た。「人質」「18歳以下の子供たち」「警察官」「プロの強盗」「社会学者」「サンドロの叔母」「ソーシャルワーカー」。通常では考えられない登場人物にも語らせた意義は大きい。
ソーシャルワーカーの最後の言葉「サンドロはマスコミに利用されただけ」は、この作品自体にも向けられた怒りそのものでもあろう。このDVDを観た私自身にも向けられた怒りとしても受け止めた。大きな後ろめたさが心に残った。
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桁外れな隣人愛に涙 2006/1/4
リオ市のセントラル駅と南地区ガーヴェアを結ぶ174系統バスが、植物園の近くに差しかかったとき、 実際に起こった事件を取りあげた、記録映画です。リオをよく知っている者には、冒頭の空撮も、犯人の出自の描写も、日常生活の現実に重なって、臨場感を増幅させてくれました。実は、植物園の近くには、ブラジル最大のテレビ局があって、ニュース担当のスタッフが飛んでいって、カメラを回し続けたそうです。これが、使われているはずです。リオを知らない人にも、きっと作品の迫力は伝わることでしょう。空撮で見せた大きなスラムは、リオ最大のファヴェーラ・ロシーニャですね。
作品を見て特に感動したのは、異種混淆社会のブラジルの人たちの、人間味溢れる優しい気持ちを、映画を見る人に丁寧に示しているからです。バスの行き先が、あの映画「セントラルステーション」のポルトガル語表記の「CENTRAL」となっていたのも、不思議な符合に思えました。監督の罠にはまったのか、人質を殺すつもりではなかったのに、警官に殺されたしまった、スラム出身の黒人である犯人の境遇を思い、うかつにも目頭が熱くなりました。犯人でさえ、互いにかばいあうブラジル人の隣人愛は、半端じゃないと思いました。
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日本の将来をかんがえる 2006/12/6
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不景気をきわめるブラジルでは失業率が高い。
失業者が路上で生活したり犯罪を起こす必然性は高い。
ストリートチルドレンも多い。
一方で、失業者が多く警察官になっている。
訓練は徹底されていないので、犯罪への対応力は極めて弱い。
犯罪者と警察官は、職業選択において隣接している。
警察はマフィアと癒着し腐敗している。
監獄は40度を超す暑さの中定員の3倍の囚人が収容されている。
人権無視の監獄では当然のように暴動や脱走が起き、彼らは路上に帰る。
先進国にみられるマスコミの報道規制は期待できない。犯罪は加害者被害者双方のプライバシー含めすべてリアルタイムで報道される。
絶望的に出口のない状況で、犯罪が起こり、死ぬ必要のない人が死ぬ。
格差社会の進展の果てに、我々はそんな社会に帰着することを知っていなければいけない。