設定は極端で過激。でも、なぜか共感を誘ってしまう登場人物たち。ペドロ・アルモドバル監督の持ち味が最大限に生かされ、第75回アカデミー賞で脚本賞を受賞した一作。
ともに愛する女性が昏睡状態になってしまったため、必死に看病を続けるふたりの男。しかし、ひとりは、元気だった頃の彼女をストーカーのように思い続けていたという屈折した過去がある。この映画がフォーカスするのは、献身的な愛を、相手の意思に関係なく一方的に与えることができる、その無情の喜びだ。アルモドバルは、サイレント映画や、ピナ・バウシュのダンス作品を巧みに織り込み、愛することにまっすぐにならざるを得ない人間の本能をえぐり出す。彼の作品に頻出するゲイ要素も、本作はわりと希薄。
一見、愛に深入りしないように見えるもうひとりの男も、ダンスや音楽に触発されて思わず涙を流す。そんな何気ない描写に、固定観念に対する監督の反抗心がチラリ。そして、絶望の後の希望に溢れたラストからは、またもや人生への惜しみない賛歌が受け取れ、感動せずにはいられない。(斉藤博昭)
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより) 鬼才、ペドロ・アルモドバル監督が描くラブロマンス。事故で昏睡状態になった女性・アリシアと、そんな彼女を影ながら愛した男・ベニグノ。ベニグノの盲目的な恋はやがて悲劇と奇跡を招き、彼らは悪戯な運命を辿る。特典満載のリミテッド・エディション。
1
王子のキス 2003/7/12
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舞台となる病院の名は「エル・ボスケ」。スペイン語で「森」です。そしてそこには美しき眠り姫が二人。うち一人は見知らぬ「王子」の「キス」を受ける。そう、これは「眠れる森の美女」の暗喩なのです。
見知らぬ他人からの「キス」は、ペロー原作のお伽噺やチャイコフスキーのバレエの中では「白馬に乗った王子様の愛」として語られますが、この映画では「ストーカーによる昏睡女性への性的虐待」となります。この映画を観た人の相当数が「男の一方的な思い込みに嫌悪感を抱いた」と言います。 おそらくその感想ははずれていません。「ストーカー野郎」ベニグノの許されざる行為はだからこそ物語の中で相応の償いを求められます。 王子様ならばセクハラで訴えられることもなく理不尽なことに「めでたしめでたし」で幕を閉じますが、ベニグノは小太りで、長年献身的に母親を介護してきたという地味な青年であるために美男の王子のような特権は与えられません。実際は王子であっても姫の許可なくいきなり唇を奪うことなど許されないはずですが、そのことに思いを馳せることなく私たちはこの物語を観てしまうおそれがあります。 アルモドーバルは「献身的な愛」を描くような監督ではありません。彼の描く人々は孤独なあまり他者との触れ合いを求め続け、相手との関係をうまく切り結べないために一線を越えてしまうことが常です。自堕落で放蕩、そして無責任な登場人物たち。その姿は強く非難されるものである一方、果たして観る者すべてが石もて打つことができるかというとそうでもないという人々ばかりです。もし「眠れる森の美女」(ディズニー映画は物語が改変してあるので除外します)の王子の行為を良しとする気持ちがわずかでもあるのならば、この映画を一刀両断するのは拙速かもしれません。私にはこの映画は「王子などいないことに気づけ」と私たちに訴えかける極めてまっとうな作品に思えてならないのです。
2
王子のキス 2005/12/19
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舞台となる病院の名は「エル・ボスケ」。スペイン語で「森」です。そしてそこには美しき眠り姫が二人。うち一人は見知らぬ「王子」の「キス」を受ける。そう、これは「眠れる森の美女」の暗喩なのです。
見知らぬ他人からの「キス」は、ペロー原作のお伽噺やチャイコフスキーのバレエの中では「白馬に乗った王子様の愛」として語られますが、この映画では「ストーカーによる昏睡女性への性的虐待」となります。この映画を観た人の相当数が「男の一方的な思い込みに嫌悪感を抱いた」と言います。
おそらくその感想ははずれていません。「ストーカー野郎」ベニグノの許されざる行為はだからこそ物語の中で相応の償いを求められます。
王子様ならばセクハラで訴えられることもなく理不尽なことに「めでたしめでたし」で幕を閉じますが、ベニグノは小太りで、長年献身的に母親を介護してきたという地味な青年であるために美男の王子のような特権は与えられません。実際は王子であっても姫の許可なくいきなり唇を奪うことなど許されないはずですが、そのことに思いを馳せることなく私たちはこの物語を観てしまうおそれがあります。
アルモドーバルは「献身的な愛」を描くような監督ではありません。彼の描く人々は孤独なあまり他者との触れ合いを求め続け、相手との関係をうまく切り結べないために一線を越えてしまうことが常です。自堕落で放蕩、そして無責任な登場人物たち。その姿は強く非難されるものである一方、果たして観る者すべてが石もて打つことができるかというとそうでもないという人々ばかりです。もし「眠れる森の美女」(ディズニー映画は物語が改変してあるので除外します)の王子の行為を良しとする気持ちがわずかでもあるのならば、この映画を一刀両断するのは拙速かもしれません。私にはこの映画は「王子などいないことに気づけ」と私たちに訴えかける極めてまっとうな作品に思えてならないのです。
3
秀作、ラストがいい。 2005/1/27
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不思議な映画である。複雑なテーマであるのに重さを感じさせず、最後まで全く飽きさせない。無声映画や劇場のシーンなどを取り込むことにより不思議な効果をあげている。
人はどんなに愛しても結局一人であって相手の心の中まで見る事は出来ない。第一章の女闘牛士とライターの男。第二章の元バレリーナ志望の女と看護士の愛。二人の女性は共に昏睡状態である。しかし二つの愛は全く形が違う。
現実に目を向けることによって孤独をより深める男と、空想の世界に住む男。二人は全く違うタイプであるが友情が芽生えていく。この二人をつないでいたのは喪失感と孤独感であったのだろう。
ライターであるマルコは根を持たない人物である。アルゼンチン人といっているが、彼の経歴や何故スペインに住んでいるのかも語られない。ただライターとして世界中を飛び回りどこにも寝宿を持たない。彼はかつて品行不良の愛する女性を立ち直らせ、彼女を過去とすべて決別させるために自らも身をひいた。感情を殆ど表さないように見えて演劇を見たとき、「何か失ったもの」を思い出し涙を流す。冷静に装っているが実は誰かにすがって泣きたいのである。
その隣にたまたま座っていたのは看護士であるベニグノ。彼はマルコの心の奥の悲しみを感じた。そして彼はマルコに興味をもつ。それは彼の中に自分の姿を見たからかもしれない。
二人の女性に対する愛し方は全く違う。マルコは彼流の愛し方で女闘牛士との関係を終わらせ、ベニグノも彼のやり方でしか彼女を愛せなかった。
とにかくじわーとした悲しみが伝わってくる映画である。そしてこの映画の終わり方は喪失の中に一縷の希望を感じさせる。
素直によく出来た映画だと思う。
4
孤独の中心で愛を叫ぶ 2004/3/3
恐らく賛否両論がはっきりと分かれる作品であろう。確かに設定は奇妙奇天烈で、主人公を「変質者」だと言ってしまえばそれまでだが、そういったことはここでは問題ではない。むしろ監督は敢えて「異常」なストーリーをもって、「正常」な日常生活の平凡さに埋もれてしまいがちなテーマを突出させようとしているのではないかと考える。そしてこの作品が(やや極端な形で)追究しようとしているのは、人間なら誰でも経験する「孤独」である。
登場人物はそれぞれの意味で孤独を強いられる。そしてこの映画が描いているのは、彼らがおのおのの孤独の深みから手を差し出して「愛」という助けを必死に求める痛々しい姿なのである。とてもコミカルなエピソードも幾つか挿入されているが、笑いの背後にはやはり孤独、他者への接近の欲求とその困難さが見え隠れする。主人公の一人の問題行為も結局、孤独に耐えかねる心の悲痛な叫びである。たとえその行為が倫理的に正当化できないものだとしても、手放しで責めることができないどころか、ただただその哀れな男のために嘆き悲しまずにはいられない。重苦しい孤独の中で、同じ喪失の痛みを共有する二人の男はやがて深い友情で結ばれるが、悲恋以上のその友情の切なさに胸が潰れる思いである。しかしこの作品は決して絶望で終わるわけではない。孤独の苦しみの果てに救いと望みもまたあることが暗示され、深い余韻を残すラストである。 最高の俳優陣の熱演で、画面一杯に、「孤独」という人間的な痛みがひしひしと伝わってくる。 キャストのインタビューやメーキング映像など、特典映像が多い。本編はもとのスペイン語音声と日本語吹き替え以外に、監督自らの興味深い音声解説も選択して聞くことができ、このやや難解な作品の理解に役立つ。
5
あいのかたち 2004/7/13
昏睡状態の愛する女性をもつという点で共通した二人の男、ベニグノとマルコ。しかし、その「愛」の形はまるで違う。
ベニグノは交通事故で昏睡状態となった愛するアリシアの看護役に納まると、意識のない彼女に毎日優しく語りかけ、身体を丁寧に拭く。彼の行為は、はた目から見ると愛より献身に近い。しかし、本人にはその自覚が全くない。彼女は昏睡状態でも、自分の話に耳を傾け、いつか意識が戻ることを信じている。 一方のマルコはフリーのライター。ラテン系の色気と知的な雰囲気がある。その彼が、闘牛試合の事故で昏睡状態に落ちた愛人のリディアを前にすると、呆然としてしまう。彼が今まで経験してきたのは生身の女性との恋愛である。だから、昏睡状態の彼女に対して、経験と理性が邪魔をしてしまう。相互的な愛を知っているがゆえの当惑である。 この二人のコントラストは非常に強烈で、考えさせられるものがある。いったい愛するとは何なのか。どちらが幸せで、どちらが孤独なのか。愛を知らない者が愛を知っている者より幸福に見える。ラストは愛を知っているマルコに希望を感じさせる。しかし、昏睡状態から目覚めたのはリディアではなく、愛を知らないベニグノの献身をうけたアリシアなのだ。それぞれに孤独があり、光が設定されている(リディアについては明暗が分かれたが)。四者ともが、ないがしろにされていない。だからこそ、考えさせられるものが多い。 ドス暗くなりそうなテーマだが、いそしぎの音楽、象徴的に使われるモノクロームのサイレント映画、血と旗の赤が印象的な闘技場や、フラッシュバックを工夫したりと、幻想的に映像化した。静かに心にしみいる一本になっている。
6
僕とアルモドバル 2004/3/7
何年か前にラジオで「男性は子宮の中に戻りたいって深層意識で願ってるらしいですよ。だからセックスをするんですって」と言ってたのを耳にしたことがある。イメージしてみたけど、幼心に怖くなってすぐやめた。だって入れる訳もないし…ねぇ。で、それと「トーク・トゥ・ハー」に何の関係があるのと思うだろうけど、それが自分でも予期せぬ事に大ありなのだ。劇中に挿入されるサイレント映画「縮みゆく恋人」でそれは起きた。若いカップルが世界の驚くような薬を発明、男の方がそれを飲んで手の平サイズの体になってしまう…というこの作品のラストで、男は恋人が寝静まったのを見計らい彼女の体を探検し、遂にはアソコの中へ入っていってしまう!アルモドバル監督が同じラジオを聞いてたとは思えないから、もしかすると何かの本に書いてたりするのかも。でも、自分の知ってた事が映画の要になってるのが感動。そして(信じられないかもしれないけど)このSFじみた話こそ「トーク~」=“一方的な愛は愛として成立するのか”を解く鍵なのです。
母の看護20年・想い人アリシアの看護4年という経歴を持つベニグノは、良く言えば献身的だけど、見様によっては異様な姿にも映る。当のベニグノ本人はそんなこと気にせず、植物状態のアリシアへ、反応が無いことはお構いなしに言葉を掛け続ける。ベニグノがアリシアを想う気持ちは純粋な愛に見えなくもない。ところで、男はなぜ子宮への回帰を願うのか。そこに愛なんていうものは存在しないと思う。自分を守る為、痛い現実から逃げる為、何もかも肯定してくれる場所で包まれたいのだ。これこそリアル・ベニグノ像。彼は孤独な人生の中で拒否の存在しない、それこそ“子宮の中”のような温床を見付け居心地良く居座っている悲しい傷ついた男。「トーク~」は献身的な愛の象徴なんかじゃない。ベニグノの、ベニグノによる、ベニグノの為だけの、禁断の地なのだ。
7
おすぎはこれのどこで泣いたの・ 2004/1/15
胸がむかつきました。このむかつきが自分に潜む共感に突きつけられたものなのか、男のどうしようもなさに対するものなのかは不明です。何によってもたらされたかを知らない、最後に彼女が魅せる希望の微笑がより憤りを感じさせ、悲しくなります。
8
皮肉がこめられたパロディと呼べるかも。しかし、痛い映画だ。 2004/1/30
...恐らく久しぶりですね。迂闊に近づいてはいけない作品に出逢ったのは...。公開時、その冷徹な展開に、衝撃を持って観ていましたが、ある意味、底なしの深さを持っている作品だと思います。ハリウッドの感情と情緒で見せつけるだけの、メジャー作品に飼いなされていると、その表面直下にしか眼がいかなくなりますが、それを越えた深さに佇む作品でしょう。ここまでストレートに理性と理論で押してくるスタイルを持った作品は、近年では稀です。それだけに、この作品の原典をも指摘出来た方は、かなり冷静に観ていたと同時に、相当なツワモノでしょう。(ちなみに、Balletの『眠れる森の美女』はもちろん、歌劇『ルスランとリュドミラ』もモチーフの一つとして使われている気がします) 写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンの言葉でいう人生の『決定的瞬間』から、総てが動き出し、ラストを迎えますが、ラストの瞬間でもその演出は、実に冷徹です。93点。
9
レオノール・ワトリングがいい 2004/8/25
「オール・アバウト・マイ・マザー」でアカデミー外国映画賞を受賞したペドロ・アルモドバル監督の作品。切り口はやはり同監督作品の「神経衰弱な女達」に近い。今回は男に焦点を当てる。ダンスの公演の観劇で隣り合わせた、一人の方は4年間も昏睡状態の患者に恋焦がれている看護士、もう一人の方は恋に落ちた相手が女性闘牛士。しかし彼女も闘牛中に牛に突かれて昏睡状態に陥る。偶然にも同じ病院で再開することになる...。 奇抜な発想と展開の連続で魅了する映画。
植物人間を演ずるレオノール・ワトリングが美人で可愛いい。次作の「マルティナは海」もよかった。
10
深い、深い、愛 2003/10/6
舞台はスペイン。有名な女性闘牛士とバレリーナを目指す若い女性。二人の眠れる美女と、それぞれの女性を愛する男性二人は、ある日出会い、やがて真の友人となる。終始流れる物悲しくも美しいクラシック音楽を背景に、物語は深い愛と奇妙な友情、そして孤独をテーマに急展開してゆく。私ならどうしただろう。