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こんな画質のモノを買ってはいけない 2004/5/14
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このメーカーのベルイマン作品は全て、不合格です。恐らく日本にあったポジフィルムから日本でテレシネしたからでしょう。これなどは白部分が完全にハレーションを起こし、暗部は潰れてよく見えません。しかも画面サイズがヨーロピアンビスタサイズのはずがほとんどの作品がスタンダード仕様なので左右は切られています。米国では高画質マスターで正しい画面サイズのベルイマン作品がUA/MGMから続々と発売されています(R-1仕様、最高傑作の呼び声が高い「狼の時刻」、内戦の悲惨さをえぐった「恥の季節」等々の日本未公開作も含まれています)が、どれも比較的満足できる画質(トリュフォーの日本盤UA/MGMセット級)で、この作品で比べるとその差が歴然とします。しかも、日本のレートにした価格はもちろん、米国盤の方が安いのですから、開いた口が塞がりません。こういう馬鹿げた状況をとにかく無くしていくためにも、こういう商品に手を出すのは金輪際やめにしようではありませんか。
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とても、昔の映画とは思えません。 2002/10/6
一人は語り続け、一人は沈黙を守る、という設定から始まり、徐々に二人の混沌とした、精神世界が浮き彫りにされていく過程を白と黒のコントラストを強調した、圧倒的に美しいモノクロ映像で描くベルイマンの傑作。
公開当時は実験的で難解と評されたようですが、現在の眼で観るとスタイリッシュで的を得た表現が観る者の心をグイグイと惹きつけるでしょう。
ビビ・アンデルソンとリヴ・ウルマンの演技は息が詰まるほど、精神世界を掘り下げていきます。観終わった時は、夢でも見ていたかのような、不思議な感覚になりました。そして、観終わった後にいろいろな事を考えさせられました。感覚と思考を刺激する優れた人間ドラマです。
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リアリズムという哲学 2003/9/27
ベルイマンはキルケゴールの哲学書のような映画を撮る。
この『ペルソナ』では「神の沈黙」はテーマとはなっていないが、自己と他者という「ドッペルゲンガー/鏡像」のテーマを扱い、やはり暗に信仰の不可能性について語っているように見えてしまう。
しかし、映像もストーリーも徹底したリアリズムである。
特に室内の光線をとらえた画面は、その明暗のあまりのリアルさ故に逆に幻想的ですらある。二人の人物のアップを意図的にモンタージュする方法は、後年のタルコフスキーにも大きな影響を与え、この『ペルソナ』から『ノスタルジア』も『サクリファイス』も産み落とされたと言って過言ではない。
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演劇人は観ておく方がいい 2005/2/5
映画というより 舞台のような設定で編集されている。二人芝居でエンターテイメント性はないけれど心理はちゃんと描かれています。シナリオ勉強中な作家を目指す人や、演劇を志す人は見ておいてもそんはないと思います。
ハリウッド映画と比べて考えてはいけないジャンルもあると思います。私は引き込まれました。
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ペルソナという名の人格 2007/8/17
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人格が入れ替わるというより、失語症に陥った大女優のペルソナとしての人格が、元々分裂症の気がある看護士に乗り移るといった方が妥当だろう。冒頭、中盤、ラストに展開される形而上学的シーンは、おそらく看護士アルマ(ビビ・アンデショーン)の人格が乗っ取られていく様子を象徴したシンボルと思われるが、はっきりいってその意味はよくわからない。人格がぐちゃぐちゃになるシーンの演出には相当苦労の跡が見え、シンプルな演出が特徴のベルイマン作品の中にあっては異色である。
<無>という言葉以外、一言もセリフを覚える必要がなかったリブ・ウルマンは、さすがベルイマンの元恋人だっただけにおいしい役どころだ。デコッぱち女優の印象が強かった彼女だが、若い頃はそれなりにかわいらしかったことがスクリーンで確認できる。アルマ役のビビ・アンデションは、ギャラがリブと一緒じゃ割が合わないほど、一人で二役分のセリフをしゃべりまくる奮闘ぶりを見せている。
大衆の前で演じる幸せな母親のペルソナとキャリア中断を怖れた女優の本心とのギャップが、エリザベート(リブ・ウルマン)の失語症の原因であったという設定は、論理的に明解でしかも説得力がある。前田亘輝と飯島直子が離婚するのも無理はない。わけのわからない多重人格映画を連発するデビット・リンチに、是非参考にしてもらいたい1本だ。
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ベルイマン死去・・・青春期に強い影響を与えた監督 2007/8/1
学生時代に「野いちご」を見て感動し、この世界的巨匠の作品をもっと見なければと、主に、岩波ホールや京橋フィルムセンターの特集で、「第7の封印」、「処女の泉」、「冬の光」、「沈黙」等を見て、場面によっては白黒の対比を生かした映像に慄然としたり、主人公たちの哲学的対話に深く考えさせられたりしたが、全体的には重苦しく、つい眠くなったこともあった。
それでも、睡魔の誘惑に負けずに最後まで見たのは、3人の旅芸人のいかがわしくも超俗的な演目が心理的に圧倒的な迫力で迫る「夜の儀式」であり、治癒する者と治癒される者の関係が怪しくなり、二者の立場の激しい葛藤と心理的逆転が起こる、この「仮面・ペルソナ」である。
70年代以降には、カラー映像へと転じて、屋外撮影もぐっと増え、大規模なセットも施された作品も制作された。「叫びとささやき」は素晴らしかったし、2部構成の長時間上映だった「ファニーとアレクサンデル」はまさに巨匠ならではの風格と映画的愉楽にあふれていた。
その後、バーグマン主演の「秋のソナタ」や「魔笛」などの小規模な室内劇へと変わり、しばらく彼の映画を見る機会がなくなった・・・。
常連の俳優たちの中では、その後ハリウッドでも活躍することになる、マックス・フォン・シドーの超俗的風貌が好きだったし、表情での演技が抜群の女優リブ・ウルマンも好きだった。
彼の死亡記事を目にして、現在はもう21世紀なのだ、時代はまた流れてしまっている、でもあいかわらずの世の中だな、とつい思うのである・・・。