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もうこんな映画はできませんよね 2006/11/6
ピーター・オトゥール 、オマー・シャリフ、アンソニー・クウィーン・・・なんと豪華で癖の・る出演陣だろう。映像の美しさとその設定・スケールの大きさ、歴史考証の確かさ、そして何よりも役者の演技。何をとっても、昨今の映画が足元にも及ばない名作と言っても過言ではないだろう。無謀な灼熱の砂漠(太陽の鍋の底)の横断、ベドウィン族との共謀とアカバ港への襲撃。息を呑むようなシーンが続くのは実に圧巻!
ただ惜しむらくは、長編と呼ぶにふさわしい4時間近い映画全編のストーリーにおいて、そのインパクトある数々のシーンが前半に偏り過ぎているキライがあるのではないか。
ロレンスの輝かしい功績とその挫折とのギャップを語るにおいて避けることができないとは理解していながら、映画後半のあまりに政治的でシリアスな話しが、この映画のインパクトを薄れさせているようにも感じて残念な気がするのも事実だ。
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変わらず新鮮な映像 2007/12/29
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雄大な自然と登場人物の個性を存分に描くカメラワークといい、輻輳するストリー展開といい、変わらぬ新鮮さを感ずる。テレビが大型化し、プロジェクタも普及した今日、是非みたい作品だ。
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時を経て不滅の輝きを増す金字塔 2007/1/1
ただただ、感服するしかない、素晴しさ。
ピーター・オトゥール ロレンス
アレック・ギネス ファイサル王子
オマー・シャリフ アリ酋長
アンソニー・クイン アウダ・アブ・タイ
それぞれの複雑な内面を巧みに演じる、凄さ。感服。
砂漠、ラクダ、戦場、爆破、アラブ、アカバ、ダマスカス。
撮影の美しさ、迫力は、絶品。感服。
歴史を描き切るシナリオの、洞察力。
今日でも、不滅の輝きを、増すばかり。
之を観ずに、映画は、語れない。必見。
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この美しい虚構! 2007/1/12
アラビアのロレンスとは一体何者か。一言で言えば、第一次大戦での欧州戦線の後方かく乱のため、アラブに送り込まれた英国の特殊工作員なのである。
彼は秘密軍事顧問としてアラブをひとつにまとめる工作を施し、トルコへの戦闘、攻撃を指揮し、ほぼ独力で砂漠の英独代理戦争に勝利を呼び込んだ功労者なのである。
彼の余生は謎に包まれている。
陸軍では、この砂漠の反乱の功績によって高級将校の地位にのぼったはずなのに、戦後は名を変え、空軍の最下級兵に身をやつしているのだ。
その死についても、暗殺説は今も根強くのこっている。まるでダイアナ元妃の交通事故のように。
ただ、映画の出来はパーフェクトだといいたい。
工作員とはいえ、人間である以上、アラブに独立を与えるという美しい理想(それが夢想だと知っていても)を胸に秘めて行動の情熱とした、という仮説には納得したい。
リーダーには、そういう損得を超越した部分がなければ、アカの他人はついてくるものではない。
アラブの民にしても、英国を利用するという計算だけではなく、ロレンスの持つ夢想に魅せられたとしても不思議ではないのだ。
「嘘だとわかっていても、あえて騙されてやりたくなる美しい虚構」は確かにある。
たとえば大東亜共栄圏に夢を託したアジアの独立運動家が多数いたこともそうだし、敗戦後も帰国せずアジアの独立戦争に身を投じた旧日本軍人らがいたという事実もその類だろう。
白人の支配から脱する「アジア人のアジア」という悲願は、代わりに日本がやってくるのを承知でも、抗いがたい魅力があったはずなのだ。
私はモノクロでは黒澤明の「七人の侍」を、そしてカラーでは本作を映画表現の金字塔としてとらえている。
5
圧倒的な映像 2007/8/8
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画面の美しさ、壮大さはただ事ではない。いくらロケハンを十分にして絶好のロケーションを見つけても、凡庸な監督であればここまでの画面をフィルムの収めることは出来まい。静かな、そして灼熱の砂漠の場面、対照的にダイナミックなアカバ襲撃シーンなど観ている者を画面に惹きつける映像において、この映画に勝るものはない。
ただロレンスの人物像はやや神秘的で透明すぎると思う、もともと実在の彼は謎が多く、ピーター・オトゥールというエキセントリックな容姿の俳優を持ってきたことでなおさら、その実像は不明瞭になってしまっていることは否めないが、そこがリーンの狙いかもしれない。
最初に映画館でリバイバル上映を観た時には気づかなかったが、ロレンスの葬儀であまり面識がないロレンスを称えていた人物は、ボロボロの格好をして戻ってきたロレンスを張り倒す軍人だったことがDVDを観て判った。彼の業績を褒め称えているのが、うわべの格好だけで人を判断するような人間であったことは皮肉的で、おそらくロレンスの真の理解者など一人もいなかったであろうことを言いたかったのだと思う。
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砂漠の砂の一粒一粒にロレンスの苦悩が反射する雄大詩篇! 2007/4/8
D・リーンはメロドラマにこそ真骨頂がある。従って背景の壮大さはメロドラマを引き立たせるものに過ぎない。特に大きな対立軸がある場合、例えば国家間、時代の潮目等が絡まるとよりメロドラマが引き立つのである。
この映画、壮大な背景描写はお見事。砂漠の幻想的表現は言うまでも無く、アカバ奇襲のダイナミズムに至ってはただ事ではない。
しかし、メロドラマが欠如しているのだ。またそれを演じる主人公もいない。まさにのっぺらぼうな作品なのである。
D・リーンは失敗作に終わるだろう事は、十分に自覚していた。従って積極的にこの作品を失敗作として露呈させることに心血を注いだのだ。失敗作とはそれを自覚しうる作家のみが正に失敗作として顕在化せしめる時に始めて可能になる、倒錯劇である。これは並みの作家では成しえることなど到底出来ない代物なのである。ロレンスの倒錯性とは、従ってこの失敗作の具現化された個性なのだ。
特に後半部の軍用列車の脱線転覆の堂々たる未完成ぶりはどうだ!本来ならば、クライマックスともいえる見せ場に出来たシーンを安易な編集で繋げているこの居直りが凄い!しかもこの後半に、山岳地帯に雪が舞うという、目を疑うシーンも出現する。この砂漠と蜃気楼の作品にである。しかしこの場面は、ロレンスの心象を描いていて秀逸である。と同時に次回作の『ジバゴ・・・』を予告しているかのような印象を受ける。『ジバゴ・・・』は既に始まっているのだ。