1
道 2002/3/10
人生の節目、節目に見てきた映画です
最初に見た中学の時はジェルソミーナの視点で見ましたが、20代、30代を
経て現在40代、今はザンパノの視点になっています
いくつもの裏切りに対して、すべてを受け入れるジェルソミーナは、天使に思え、それを見ている私は、決して許してもらえない罪深き子のようです
ザンパノの涙は、自分の生きてきた傷そのものです
永遠に人々の心に残る奇蹟のような映画です
2
石ころの価値 2005/9/26
フェリーニの映画は、どうもボクの性に合わないらしく
途中で寝ちまうのが多いのだが、これだけは違う。
好きな映画をあげてったら、おそらく10本の指に入る。
この映画の主人公、ザンパノ。
ただ力任せなだけの芸と、暴力と、酒と、身勝手さでしか
自分を守る術を知らなかった男。
それで守れないモノがあることを、どこかで解っていて
それでも他の方法を知らず、探そうともしなかった彼は
酔いどれ、道端で遠吠えのように呟く。
「オレは寂しくなんかない。独りでだって平気さ・・・。」
その呟きを連れて誰もいない夜の砂浜に漂い着いた彼は、
やがて惨めなボロ布みたいな絶望感に、生まれて初めて向き合う。
「すべてのものには価値があるのさ。
お前にも、このちっぽけな石ころにだって。
もしこの石ころに価値がないとすれば、すべて無価値さ。」
自信をなくしたジェルソミーナへ向けられたこの言葉は、
実はザンパノの、彼自身がいつも隅に押しやり踏みにじってきた
「疎ましい自分」というものに向けられていた言葉なのかもしれない。
そしてボクは、
この馬鹿で不器用な男が、なぜかいつも気になってしょうがない。
3
観るたびに違った涙!生涯ナンバー1の映画 2002/6/25
高校時代、この映画を初めて観ました。その時はザンパノの極悪非道ぶりとジェルソミーナのかわいそうさに涙しました。10数年経ち、結婚して子どももできた現在、DVDでもう一度観ました。今度ももちろん泣きましたが、涙のわけは少し違っていました。子どもができて少し感傷的になってしまっているのかもしれませんが、人の「やさしさ」ばかりが胸にしみるのです。いくらひどい扱いを受けてもザンパノに尽くし続ける純粋なジェルソミーナ。「おまえはザンパノの役に立っている」と励まし、彼が収容されている刑務所の前まで送っていく心やさしい綱渡りの男。そして、ザンパノは、乱暴な扱いをしながらもジェルソミーナを手放しません。頭がおかしくなってからも一生懸命世話をやきます。飯の糧を稼がなけばいけないので最後にはジェルソミーナを置いていきますが、そのことは彼の一生の後悔となります。なぜなら彼はジェルソミーナを心から愛していたのですから。そのことを口にできない不器用な男だったのです。・・・さて、次に観るのはいつのことでしょう。DVDを買ってしまったので10年はあかないと思いますが、また違った涙を流すのが楽しみです。
ちなみに、DVDには淀川長治さんの解説が入っており、これまたなつかしい口調で必見ですよ!
4
ゲイの目から見たザンパノ 2004/4/12
ゲイにもいろいろな好みがありますが、ザンパノみたいな、マッチョなノンケ(肉体派で男尊女卑的な女好きの男)に憧れるゲイは多いと思います。ザンパノの凛々しい眉と長い睫毛の下の野性的な目、鎖を断ち切る適度に脂の乗った頑丈な胸板、締まった腕と脚...などにも目がいきますが、日々ノンケの男を好きになっても「報われぬ恋」の連続で、生きていく希望なんてほとんど無い自分にとっては、ザンパノを一途に愛しながら、報われずに泣かされるジェルソミ-ナに感情移入してしまい、胸が締め付けられる思いです。
ジェルソミ-ナが打ちひしがれているとき、綱渡りの男イルマット(「狂人」という意味だそうです)に「この世にあるものは、みんな何かの役に立つ。この小石でも、きっと何かの役に立つんだ」と慰められるシ-ン。誰かを好きになっても報われない、結婚もできないし家族もいない、でも年は取っていくからますます相手にされなくなる、老後は孤独死・などと考え出すと絶望してしまいますが(というかよく絶望してますが)このセリフは、もう少し生きてみよう、という勇気を与えてくれます。あと、ラストシ-ンも泣けますね。自分が捨てたジェルソミ-ナが、ずいぶん前に死んでいたということを知るザンパノ。ぐでんぐでんに酔っ払い、海岸をさまよい、砂浜に倒れ、体を屈して肩を震わせて泣く。砂を握りしめるザンパノは何を後悔したんだろう・ ザンパノもジェルソミ-ナも、孤独であることの寂しさを知っているからこそ、全力で愛することができるし、その愛がどれだけ自分に必要なものかが分かる。この映画は、孤独なゲイにとって永遠のバイブル、そして奇跡の物語だと思います。
5
砂漠の一滴 2004/10/8
見終わったあと、あのさびしくて切ないメロディーがこころにのこる。おいらきっと、この映画を何度も繰り返し観るだろうと思う。
現代の映画は、音やら色やら言葉やらをバンバン活用しているし、美男美女や凝ったストーリーもふんだんに出てくる。それに比べて、この映画は白黒の映像、シンプルなストーリー、シンプルな音楽、必要最小限のセリフ。どれもほんのひとしずくづつ。それがかえって心にしみる。現代の映画も大好きだけど、古い名画ってのもいいねえ。 ザンパノは、陰気で不器用で粗暴な男。家族もいないし住む家もない。一つ覚えの芸をあちこちの村で披露する旅芸人。そのザンパノが、自分よりももっと不器用で役立たずのジェルソミーナを連れ歩く。ザンパノはジェルソミーナに食べ物と仕事を与えるけど、笑顔を見せたり、心を通わせようとはしない。そしてジェルソミーナをねぎらうこともほめることも一切しない。ジェルソミーナは自分の生きている意味がわからなくなって泣く。
おいら映画を観終わってずっと考え続けている。ザンパノにとってジェルソミーナってどんな存在だったんだろう・・・きっとザンパノにもわからなかったのではないだろか。 ザンパノと対照的な登場人物。陽気で器用な宙乗り男。彼はザンパノを怒らせるのが大好き。そしてまた彼は落ち込んだジェルソミーナに「石ころにだって価値があるんだぜ」と励ます。いい場面だよ。
人はパンだけでは生きられないという・・・人間が生きていくのには、こういう「言葉」が必要なのかもしれない。
6
粗野・無知・粗暴な男がなぜ・・・ 2005/6/23
・・
ジェルソミーナの死を知ったザンパノはなぜ泣くのだろう。
金で買い、打ち叩き、裏切り、心を踏みにじり、無惨に捨てたから?
粗野・無知・粗暴な男なら、その一つ一つを気にかけることもなかろうに。
ザンパノは己のやってきたことをちゃんと知っている。それが人間というものだと思う。
ジェルソミーナが己を捧げつくした故にザンパノの痛みは大きく、彼女の真実が彼を苦しめて止まない。 ザンパノに救いはあるだろうか。彼の涙が懺悔となり、心を癒していくのだと思います。 「涙とともにパンを食べたことのある者でないと人生の味はわからない。」、誰の言葉か知りませんが、
ジエルソミーナもザンパノも、映画を見ている自分もそれぞれの人生を味わっているな、思いました。
7
何度でもジェルソミーナに会いたくなる! 2004/9/4
また、見てしまったなと、この映画を見て思う。
つらいことや、哀しいことがあったとき、無性にジェルソミーナに会いたくなるのだ。
安い金額で大道芸人ザンパノに売られてしまったジェルソミーナ。
穢れなき魂の持ち主、知恵遅れのジェルソミーナが、全身全霊をかけて、「役に立ちたい」と望むとき、彼女はあまりにも愚かで美しかった。 そして、届いていないようでもザンパノにもきっと、その気持ちは届いていた。 ジェルソミーナが料理も、芸も何もできず「自分には価値がない」と落ち込むとき、同じ大道芸人で、ザンパノの古い知人のイルマットはこういった。
「神様は、この石ころにだって、価値を与えていらっしゃる、だからお前にも、すべてのものには、価値があるんだよ」と、そして、 「もし、神様が、すべてのものに価値を与えていなかったら、そんな神様だって、無価値なのさ」
この言葉に励まされるジェルソミーナ。私も大変感動した。
しかし、それらを否定するような事件が起こる。 私は人の生や死に理由なんてないと思っている。価値なんてないと思っている。 でも、人が、人に、その事象に、価値を見出してしまったとき、初めて価値が発生するのだと思った。ラストのザンパノの涙はそれを思わせた。
かれは、気づかなかった、いや、気づいていたけど見ないようにしていたものをとうとう見つけてしまったのだ。後悔とともに。
8
ザンパノの号泣 2003/6/13
「キレイな心」を持っていない、乱暴な男がいた。
ある時彼は、その「キレイな心」に出会った。
しかし、不器用な彼は、それを素直に受け入れられなかった。
やむを得ず、その心をどこかに置いてきてしまった。
ある日誰かに、「もうその心とは二度と出会えないんだよ」と告げられた時、どれだけ絶望するのだろうか。
9
素晴らしい映画 2006/3/10
中学生の時に見て泣いて、二十数年後に見て、また泣きました。素晴らしい映画だと思います。
「甘い生活」や「8 1/2」の味わいとは違う、ネオ・リアリズムの余韻を濃厚に残したフェリーニの傑作だと思います。
10
人生の教科書、「道」。 2004/2/9
初めて観たのは、もう数年前になりますでしょうか。それからはかれこれ3年周期で観直して来ました。そのたびに新たな感動を与えてくれるフェデリコ・フェリーニ監督の、イタリア古典映画の傑作、至宝です。
無骨な専制君主・大道芸人ザンパノ役のアンソニー・クイン、サーカスの綱渡り男役のリチャード・ベイスハート、そして僅かな金とサラミとチーズで売られてしまった知恵遅れのジェルソミーナを演じる(フェリーニ監督の細君でもある)、ジュリエッタ・マシーナの三人の絡みは奇跡的にリアルで、そして譬えようの無い哀しみを抱かせてくれます。人生の無常さと儚さ、愛することと愛されることの尊さと意義etc、あらゆる叡智を学ばせてくれる本作は、私にとって人生の教科書に外なりません。今も昔もそしてこれからも、大切な宝物です。 つい先日も観る機会がありました。本当にジュリエッタ・マシーナの演技は神懸りとしか言いようがなく、自らラッパで奏でる「ジェルソミーナのテーマ」が流れる度に、涙が溢れて弱りました。製作されてから数年も経過するというのに、その普遍性は未だ色褪せず。心優しき映画ファンには必見の名作です。