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痛恨の一枚 2003/7/27
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いいですよね、タルコフスキー! 2007/6/11
首都高速を未来都市としたり(惑星ソラリス)、どっかの田舎を“ここがゾーンだ!”と言い切ったり(ストーカー)、私はタルコフスキーというのは実にB級魂を持った監督なのではないかと思っているのですが、でもとにかく出来上がった映像は例外なく美しい!本当に絵画が動いているような息を呑む描写の連続技で全てが傑作ですよね!実はタルコフスキーは私にはどの映画も例外なく見てる間は微妙に退屈なのですが、見終わるとまたもう一度見たくなるという中毒性があってDVDでいつでも見れるのが本当に有り難い。あのカットをほとんど割らないでじっくり描かれる濃密な画が眠気を誘いますが、それが本当に癖になります。勿論食い入るように見てるファンもいるでしょうから、ちょっと不真面目な鑑賞の仕方かもしれませんけど。でもそんな私でもどっぷり酔いしれるのがこの“ノスタルジア”です。溜息の連続です。まぁ比較的時間が短いということもありますが・・・。
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観るものに新しい世界を与えてくれる幻想詩。 2003/7/18
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ソラリスとの相似 2007/10/14
アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作となった映画だ。
タルコフスキーの映画にはいつも水が流れている印象がある。
この映画も冒頭の霧、川、雨、温泉と水が様々な姿を変え出てくる。
特に、水に浸かった廃墟の場面は煌めくように美しい。映画史に残る名シーンではないかと思う。
構成としてはタルコフスキーの傑作「ソラリス」によく似ている。
異郷(ソラリスでは知能を持つ生命体の海がある惑星ソラリス、この映画ではトスカーナ)にいて故郷(ロシア)に焦がれ、過去を悔いる。
ラストも異郷に故郷が現れる幻想的シーンが同じである。それが惑星ソラリスの海であろうと、トスカーナの廃墟だろうと、故郷と過去への思いは変わらないのだ。
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内的必然性から生まれる独自性 2008/3/12
タルコフスキーが言っていることで興味深いのは、
「映画においては、説明は必要ではないのだ。そうではなく、直接的に感情に作用を及ぼさなくてはならないのだ。こうして呼び覚される感情こそが思考を前進させるのである」という言葉。
タルコフスキーの書いたものを読むと、実に内省的、宗教的な、本物の芸術家の声を聴くような深さと、それゆえの深刻さとを感じる。
それは時に悲劇的にも思われ、彼の精神の内部に関わるのはとても重苦しいような、敬遠したいような気持ちにも襲われるかも知れない。
「ノスタルジア」という映画の語源は、ロシアでは、病に近い望郷の念を言うようで、タルコフスキーによれば「死に至る病」となるようである。
この映画と「惑星ソラリス」や「ストーカー」、この3本が最も印象にあるのだが、そのどれもがその--ノスタルジア--を語っているように思う。
それは彼の言うように、説明されえない、時にあまりに個人的、内宇宙的な、世界への宗教的な想いであったり、修行僧の懺悔のような告白のようであったりする。
「ノスタルジア」の、観客まで息苦しくなってくるような緊迫した長い凝視を要求する映像で描かれる、登場人物の世界を救済するという個人的な儀式・・。
模倣しようとすればきっと恥ずかしくなる、その驚くべき映像の内的必然性から生まれる独自性。
彼の最後の作品の題名が、彼の内面の内へも外へも、彼の精神の運動のすべてを言い表わしているような気がする。
それは「サクリファイス」、犠牲という言葉である。
タルコフスキーを想うと、むかしむかし、西洋の厳格な修行僧が同時に求道的な芸術家であったような時代の、そういう時代に存在したかのような男のシルエットが浮かんでくる。